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2021年8月 3日 (火)

おこあげをアップ

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 瀬音ホームページの山里の記憶コーナーに「おこあげ」をアップした。中学生くらいまで家では養蚕をやっていた。秩父の農家はほとんどが養蚕をやっていたと思う。山にはたくさんの桑畑があり、朝飯前に桑の枝を切って運ぶのが子どもの仕事だった。学校に行く前に一仕事していたわけだ。
 養蚕の中で一番忙しいのが「おこあげ」と呼ばれる作業だった。正式には上蔟と書き、成熟した蚕を蚕カゴからマブシ(蔟)に移す作業だ。おこあげの日、子供は学校を休んで仕事を手伝うのがどの家でも当たり前だった。
 

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 忙しい1日だったから必死で働いたのだが、何より学校を休めることが特別な1日だった。当時、学校の休みはおこあげの日と八幡様のお祭りの日だけだった。学校で前日に先生に「先生、明日おこあげなんで休みます」と言えば「おお、そうか、頑張ってな」と言って休ませてくれた。
 家の一番大切な仕事なので真剣にやるのは当たり前だったが、何より学校を休めるのが嬉しくて、ルンルン気分で家に帰ったことを覚えている。
 

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 回転マブシを組み立てて二階の壁に立てかけて並べる。ボール紙製のマブシは折りたたみ式になっていて広げると四角になる。これを10段木枠にセットするのだが、子供は二人掛かりでやる大仕事だった。木枠が壊れていたり、ボール紙のマブシが破れていたりすると修理しながら組み立てた。
 おこあげの日は朝からとても忙しかった。子供の仕事も多かったので休む暇などなかった。助っ人の人もいていつもと違う1日だった。
 

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 春蚕(はるご)、夏蚕(なつご)、秋蚕(あきご)と年に三回の養蚕だった。桑畑もそう多くはなかったしこれが最大限だったと思う。桑の葉が出ている時期はずっと養蚕で明け暮れていた。
 現金収入の道がこれしかなかったから、どの家も同じように養蚕に励んでいた。中学生になった頃から世間の様子が変わってきた。ナイロンやテトロンなどの化学繊維が市場を席巻し、絹糸の需要は激減した。農家の様子もガラリと代わり、高度経済成長の波は田舎の農家も直撃した。土木工事や道路工事で働く人が増え、桑畑はソバ畑に変わった。
 古き良き時代だったのかもしれない。養蚕で働いたことは子供時代の記憶に鮮やかに残っている。

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コメント

 先生になったばかりのころ(1980年)は、「来週はおこあげだから休むよ」という生徒がいました。近所でも養蚕をやってる人がいましたが、「お蚕は面白いからやってるんだ」と言っておられました。そのころにはもう、ペイする仕事ではなくなっていたのかもしれません。繊維工業科の生徒たちを教えてたんですが、その子たちが今年、還暦を迎えたはずです。自分が年をとるわけだ。繊維工業科はもちろん、今はなくなりました。

吉瀬さん こんにちは
四十年前でもまだあったんですね。高校生の頃、三田川の松坂に製糸工場があったのが廃業になったことを覚えています。時代の流れで消滅は仕方ない事だったのかもしれませんが、あまりにも色々変わりすぎたようにも思います。この先の変化はもっと凄いのだと思いますが、もはや変化についてゆけません。静かに見守りたいと思います。

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