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2020年10月

2020年10月15日 (木)

ショウゲンジが来た

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 午後のテニスを終えて家に帰ったら、JICKYさんからショウゲンジがいっぱい届けられていた。キノコ狩りに行ったらショウゲンジが大爆発していたとのこと。ありがたく頂戴し、早速夕飯に調理した。

 まずはコンソメ味のスープに刻んだ玉ねぎとたっぷりのショウゲンジを入れて煮込む。次はショウゲンジと言えばパスタということでパスタを作る。

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 大きなニンニクふた粒を刻み、油で香りを出す。刻んだベーコンと玉ねぎを炒める。ここにたっぷりのショウゲンジを半割りにして加え塩胡椒で味付けする。軽く炒めて火を止め、蓋をして寝かせる。
 パスタを大鍋で茹でる。茹で上がる前にフライパンの火を着け、ソースに刻んだトマトとブロッコリーを加えて炒める。そこに茹で上がったパスタを加えて合わせれば出来上がり。お皿に盛り付けて食卓に運ぶ。コンソメスープにも茹でて刻んだブロッコリーを散らしてスープ皿に盛り付ける。合わせるのは冷やした白ワイン。

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 頂き物で豪華な夕食になった。たっぷりあったショウゲンジはまだ半分残っている。新鮮な美味しいキノコが届けてもらえるなんて、本当にありがたいことだ。JICKYさんに感謝。

 

 

 

 

2020年10月12日 (月)

吊るし柿をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「吊るし柿」をアップした。吊るし柿は長い間、秩父山間部の晩秋の風物詩だった。最近は温暖化の影響で、干した柿がカビてしまうことが多く、めっきり姿を見なくなってしまった。アンポ柿など新しい干し柿の製造が広がっているが、秩父生まれの人間としてはあの風景が見られなくなったのは寂しい限りだ。
 

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 秋になると山里の柿の実が目立つようになる。秋の風情を感じる景色だが、高齢化が進んだ山里では柿の実を取る人もいなくなり、成っているままに任せているのが現状だ。熟した柿の実は鳥や猿、稀には熊の狙うところとなり、野菜動物の餌となっている。
 秋らしい風景を眺めながら「ああ、柿を取る人がいないのだなあ・・」などと感じるのは、自分が吊るし柿作りをしてきた世代だからこそ出るため息なのかもしれない。これも時代の流れなのだろうが寂しいことだ。
 

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 柿取りは大事な仕事だった。落とさないように竿で運ぶ技。折れやすい柿の木に登るのは子供の仕事だったこと。木に成った状態で熟した、熟柿(ずくし)の美味かったこと。山から運んだ柿の重かったこと。などなど懐かしい思い出が次から次に浮かんで来る。
 渋柿を焼酎漬けにすると渋が抜けて甘くなると言われてやったことがあった。渋は完全に抜けなくて、食べられなかった事を思い出す。多分やり方が悪かったのだろう。渋ぬきは化学だから、決まり通りにやらないと食べられないということがわかった。渋い柿を食べるとうんこが出なくなり、病気になると言われていたので渋いのは絶対食べなかった。

 

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 干し柿は十二月になると粉が吹いて白く、甘くなった。お祭りや正月のご馳走で食べたり、お土産にしたり、みんなで食べた。甘い干し柿は冬のご馳走だった。
 干し柿を買いに来る問屋さんがいたという。秩父の夜祭などで売るのが目的だったらしいが、我が家では食べる人数が多かったので干し柿を売ることはなかったと記憶している。
 保管してあるのを盗み食いした味は忘れられない。盗み食いするとなぜかバレて怒られた。なぜバレたのかわからないが、もしかしたら顔に出ていたのかもしれない。懐かしい思い出だ。

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2020年10月 1日 (木)

うどんぶちをアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「うどんぶち」をアップした。中学生になると大人扱いされたので、農繁期などは毎晩のように家族が食べるうどんを打たされた。うどんぶちの最初はまだ非力で柔らかいうどんしか出来ず、怒られたものだが、徐々にまともなうどんが打てるようになった。
 と言ってもこねるまでで、そのあとは手動製麺機を使って麺を作っていた。当時、どの家にもこの手動製麺機があり、どこでも毎晩のようにうどんを食べていた。

 

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 こねた生地をテニスボールくらの大きさに丸め、製麺機の上から入れてハンドルを回す。生地がローラーで平らになって下から出てくる。最初は縁もギザギザだが、三・四度ほど折って畳んで伸すを繰り返すとコシのある滑らかな生地になる。ここまでは丁寧にやる。
 ハンドルの位置をずらし、手前の麺切りローラーにギヤを切り替えて平らな生地を入れる。ハンドルを回すと生地が切られて麺になって下りてくる。これをすぐに沸き立った釜に入れる。これが忙しかった。機械と釜を往復し、なるべく早く全部の生地を麺にしなければならない。モタモタしていると茹で上がりがずれて変なうどんになってしまう。上がりはなに斜めに腰掛け、切って運ぶを繰り返す。子供ながら必死の作業だった。

 

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 生麺をそのまま鍋に入れて具材と煮込むのが「おっ切り込み」だが、我が家ではほとんどやっていなかった。茹でたうどんを丸く一口大にまとめボッチを作ってショウギと呼ぶ大きなザルに並べて水切りをした。こうしておくといつでも食べられるからだ。汁が温かければ汁にボッチを入れれば美味しいうどんになる。家族が大人数だったので、全員が同じ時間に食べる訳ではなかった。ボッチのうどんさえ作っておけばみんな好きな時に食べられた。

 

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 秩父では多くの家が養蚕をやっていた。養蚕をやるような場所は田んぼがなく畑も山にあるところが多かった。山の畑では養蚕の裏作で大麦・小麦を作って大切な主食にしていた。十月に種まきをして真冬の麦踏みが子供の仕事だった。七月の麦刈りは家の大事な作業で学校を休むこともあった。脱穀は全員総出で汗まみれになってやったものだ。
 自分で作った小麦を粉にして自分でうどんを打って食べる。今考えると、本当に贅沢な食生活だったのだなあと感じるが、その時は、何でも買える家庭が羨ましくて仕方なかった。ただただ貧乏だからこんな大変な事をしなければならないのだと世間を恨んでいた子供時代だった。

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