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2020年4月13日 (月)

「秩父イワナを守る」をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「秩父イワナを守る」をアップした。新型コロナによる外出自粛中のため取材に行けず、2年前から宿題になっていた絵を描いたものだ。

 荒川水系渓流保存会の会長だった須崎武男は小鹿野高校の同級生だった。2年前、65歳の若さで急逝した。急な訃報だったので葬儀には出られず、後日、同級生五人が集まって偲ぶ会を行った。
 須崎とは長い間保存会の活動を共にして来た。私は保存会の広報担当として会報の制作やステッカーやポスターのデザイン・制作などを担当していた。もちろん、飼育池での作業やイワナ調査などもやっていた。これは、会員として会長の業績を描く事であり、同級生として友人として敬意と感謝の念を込めたレクイエムを描くことだった。

 

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 私が保存会に入った時、会長は小鹿野高校同級生の久保昇だった。副会長の新井さんや関口さんが中心になってヤマメの飼育と放流をやっていた。私が森林ボランティア団体・瀬音の森を立ち上げ、安谷川の清掃イベントをやった際にヤマメの稚魚放流を手伝ってくれたのが保存会の新井副会長だった。子供達が嬉々としてヤマメの稚魚を放流している姿が目に焼きついている。
 その後、久保から会長を引き継いだ須崎が自分で工夫しながら秩父イワナの飼育を始めた。秩父イワナの飼育は本当に難しかった。その大変さは須崎がよく話してくれた。
 今回描いたのは秩父イワナの飼育に奮闘していた須崎の姿だ。10年以上前の話を紙面の都合もあって簡単に書かせてもらった。

 

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 私は東日本大震災の後、「山里の記憶」に専念するために保存会を退会した。だから須崎の最後の姿を見ていない。絵にするに当たって、会員の方々から写真を送ってもらったり、昔の広報を読み返したりした。様々な思い出がよみがえり、懐かしさに手が止まることもあった。
 山里の記憶シリーズに同級生を描くことに少し抵抗があったのだが、千島さんや吉瀬さんの「是非描いて欲しい」という声に押されて描く気持ちになった。考えてみれば自分も67歳になる訳で、少しもおかしい事ではない。

 

 須崎が世を去って、新しい保存会会長には関根さんが就任した。千島さんや吉瀬さんが脇を固め、新しい保存会の活動が始まっている。在来イワナの保護活動が中心になっているようだ。保存会の今後の発展を祈っている。

 

 

 

 

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コメント

 最初の絵を見ただけで泣けてきますよ。

 須崎さんのあの粘っこい取り組みの根っこにあったのは、いったい何だったのだろう?
kurooさんにもそれはつかめないみたいですね。
 わたしはやっぱり、秩父の民としての根っこだったんじゃないかと思ってますよ。
 秩父の釣り人だから、秩父のヤマメやイワナを守るんは当然だんべ、というような感覚です。

 ご自分でもそう思っておられると思いますが、この文章だけでは須崎さんを語り尽くしていませんね。
 あのひとはいったい、どういうことを考えていたんだろうか、と私はいつも思います。
 ご本人の前だったら、そんなこと絶対に口にしませんけどね。

吉瀬さん こんにちは
言われる通り、この分量では書ききれません。須崎がどう考えながら秩父イワナの飼育をしていたのかははっきり聞いたことがありませんでした。ただ、いくつか話したことから類推するだけです。

 当時「瀬音の森」をやっていたことから、会長という立場について話したことがありました。会長というのは孤独な存在です。自分で始めたことへの責任や覚悟のような事ですが、最終的には一人でやり通すことしかないよね・・というような話でした。私は重圧に負けて途中で投げ出してしまったので、須崎がやり通したことに敬意を評します。

 プライベートでいろいろあって、イワナの飼育は須崎の「やるべきこと」の中心に位置していたんだろうな思います。いわゆる存在証明のような作業だったんじゃないでしょうか。当然ですが、秩父のイワナやヤマメをも守りたいという気持ちは人一倍強かったと思います。ぶっきらぼうな話の中にも強い信念があったように思います。

 今、こうなってみると、もっといろいろ話しておけば良かったなあと思います。

黒沢さんありがとうございました。会長と10年以上一緒に飼育ができたことは私の財産です。会長が秩父イワナの保護活動に取り組んだ行動力の原点は、使命感だと思います。秩父イワナは埼玉県の財産、その財産をいかに守るり後世に残せるか、できる人は誰なのか?。
多分、私しかいない・私しかできないと考えていたのではないかと思います。飼育に関し水研の田中さん等の協力・指導もありましたが、調査・研究・改善工夫に取り組んでいました。もう少し早く取材に応じてもらえれば、テレビや新聞等の取材は応じたのになぜか山里の記憶の取材は断られ続けていました。残念です

千島さん こんにちは
 山里の記憶の取材を須崎に依頼した事はありませんでした。同級生ということもあって、まだ取材対象ではないと私が思っていた事がそうさせていたのだと思います。仲間として一緒に作業していたという事もそうなった原因だと思います。
 須崎がどう考えていたかは須崎しかわかりませんが、残した実績は大きいですね。本当に会員の皆さんの協力で成し得た実績だと思いますが、須崎個人のやり通した実績の大きさはすごいものです。同級生として誇りに思います。

 諸事情が重なって、秩父イワナの飼育が不可能になってしまいましたが、保存会の活動は続いています。これからは秩父イワナの保護活動が中心になるかと思います。千島さんや吉瀬さんが関根会長を支えて、大きな実りをあげてもらいたいものだと思っています。

2018.に保存会から、親魚を頂いた者です。昨年の台風19号で壊滅的な状況になってしまいましたが、只今1000尾ほどの稚魚が2センチとなり元気に泳いでいます。手が空いたら、保存会の会合にも出席出来ると思います。須崎会長とは別にに水産試験場熊谷支所から稚魚をいただいた者です。秩父イワナの魅力には圧倒されます。
採卵、受精が自分は出来ますので秩父イワナ保存会の一助になればと考えています。
須崎会長には生前お世話になりました。秩父イワナの顔が見られているのも、皆様のお陰であると思います。

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