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2019年12月

2019年12月25日 (水)

クリスマスはステーキ

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 クリスマスイブはいつもステーキを焼く。今年も同じようにステーキを焼いた。付け合わせはいつも同じ。面取りした人参のグラッセ、粉ふきジャガイモ、茹でたブロッコリーを円形に並べる。湯むきしたミニトマトも並ぶ。
 ステーキは牛もも肉と牛ヒレ肉の二種盛り。フライパンで焼いてからホイルで包んで加温する。焼いた肉汁に赤ワイン・バルサミコソース・バター・砂糖・醤油・微塵の茹で人参を加えたソースを作る。ソースを煮詰める間にレンジで皿ごと加温してホイルから出したステーキを切る。
 暖かいお皿に盛ったステーキに熱々のソースをかければ出来上がり。すぐに食卓へ運ぶ。
 

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 今年はスモークサーモンのつまみを作った。湯むきしたミニトマトをサーモンで包み、ブロッコリーを飾りに添える。これが美味かった。トマトの酸味とサーモンの甘さがマッチし、ブロッコリーが味をまとめてくれるという完璧な一口。正月にも使える味だ。
 ビーフシチューも添えてクリスマスのディナーが始まる。今日は最初から赤ワインで肉を楽しむ。赤ワインは買い置きしてあるフランス産のマノワール・グニョン。1000円くらいの手頃なワインだが、味が好きで買い置きしてある。
 

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 今年も一年お疲れ様・・・という乾杯。

 1年間無事に過ごせてありがたいことだ。この歳になると感謝の思いが強い。大きな怪我も病気もなく毎日を過ごせることがいかにありがたいことか。素直にそう思う。

 

 

 

 

 

2019年12月18日 (水)

絵を届けて取材

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 12月17日、秩父の荒川・古池耕地に「奥宮祭り」の絵を届けに行った。絵を届けたのは加茂下陽造さん(69歳)で、陽造さんは「よく似てる・・」と絵を喜んでくれた。お茶をいただきながら色々な話をしていたのだが、お願い事を話してみた。
 前回の取材時にこんにゃく玉を片付けていたご母堂の話だった。聞くと16日に94歳になったばかりだとのこと。まだお元気とのことなので取材が可能かどうか聞いたら、今ハウスで豆採りやってるからいいよとの返事。早速ビニールハウスの作業場に行って挨拶して取材になった。
 

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 加茂下光子(てるこ)さんは、大正14年生まれの94歳。月・水・金と近くの荒川園にディサービスに行く以外は畑仕事をしている。今は収穫した豆類の脱粒を正月までやるとのこと。体はいたって健康で、医者にかかることもないという。足腰も達者で、杖もつかず歩いている。
 豆の脱粒は黒豆・大豆・小豆と分けて並んでいる。大きな枝から叩いて脱粒したものがむしろに広げられている。小さな莢(さや)に残った豆を手で丁寧に割り出しているところだった。小豆はお正月のアンコや赤飯、お汁粉になるもの。脱粒したものから虫食いやしいなを選別し、保管するまでが光子さんの仕事だ。料理は嫁の啓子さんが全てやっている。
 

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 光子さんの作業を見ながら昔の話を聞いた。大正15年生まれということは戦前の事も記憶に残っている。話は戦争時代の厳しい暮らしの話から始まった。食べ物がなかった事、子供の服の話、牛飼いの話、養蚕の話などなど。ちょうど自分の母親と同じ世代の人なので興味深い話ばかりだった。
 また、今現在の光子さんの1年間の仕事も聞いた。テレビを見ながら休むことは全くないという光子さん。何かしら仕事をして体を動かしている。きちんと分担された役割があり、これが自分の仕事だと胸を張って言えるのがすごい。
 

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 最後に「箕」で大豆のゴミを取る作業を見せていただいて取材が終わった。光子さんを自由に働かせている陽造さんもすごい人だと思った。光子さんに長生きの秘訣は?と聞いたら「早寝・早起きさぁ」と明快な答えが返って来た。「それと、ご飯を食べる事」「健康の秘訣は時季の仕事をする事」と94歳とは思えない言葉が返って来た。
 素晴らしい94歳。元気をもらった取材だった。

 

 

 

 

2019年12月12日 (木)

纒向遺跡へ

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 奈良三日目。今日は午前中に二つのお寺さんを回った。大和四寺の二つ、岡寺と安倍文殊院だ。岡寺は門前をなんども通ったのだが、いつでも行けるような気がして行っていなかったもの。今回初めて参拝してその素晴らしさを知った。何が素晴らしいって、紅葉の山が素晴らしかった。イロハモミジの大木が奥の院への参道をトンネルのように飾っていた。地面は紅葉の絨毯。この山道は本当に素晴らしかった。
 

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 安倍文殊院は御本尊の渡海文殊菩薩像が素晴らしかった。獅子に乗った文殊菩薩、7メートルという大きな仏像は本堂の奥に鎮座していた。右前に駆け出しそうな善財童子の立像がかわいい。
 安倍晴明を祀る金閣浮御堂は周囲を7回廻って護符を投じる所作が求められ、堂内に入るのに時間がかかった。7回も念入りにお願い事をしたのだから是非とも叶えてほしいものだ。
 境内にある古墳がすごかった。西の古墳・飛鳥時代のものだが、花崗岩の加工技術が素晴らしい。石室のどの石も正確に立方体になっており、飛鳥の時代になざこの加工ができたのか不思議だ。削ったノミの跡すらない平面を触りながら謎の世界を知った。
 

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 昼食は美輪に走り、美輪素麺山本に入った。ここは工場・事務所・レストラン・売店が一緒になった大きな建物。何と、卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳の目の前にある。
 寒かったので当然煮麺(にゅうめん)を頼む。サイドメニューで鮭の笹寿司とミニいなり寿司を注文した。こんな日は温かい食べ物に限る。かみさんは湯葉煮麺を食べた。
 

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 昼食後、車で箸墓古墳の周りを走る。車を止めて環濠から見渡す写真を撮る。卑弥呼の墓というカフェがあったが立ち寄らなかった。近くの纒向遺跡へと向かう。纒向遺跡は巻向駅の横にある。今は調査が終わり、白い目印の柱が林立している。コンクリートの柱かと思ったらヒノキの丸太を白く塗った柱だった。ここに大和朝廷があったのか・・と感慨深く跡地を写真に納めた。
 三輪山を見上げるこの地に卑弥呼が暮らし、大和朝廷の基礎が作られた。そんな物語をなんども読んだが、この場所がそうなのだという実感が湧いてこなかった。あまりに普通な周囲の住宅街。細い道、買い物帰りの人、自転車に乗ったおじさん・・・奈良というのは本当に不思議な町だ。
 

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 大神神社の鳥居が見える近くに桜井市の埋蔵文化財センターがある。そこに入って纒向遺跡がどれだけ素晴らしいものかを確認した。発掘された遺跡からの出土品に目を奪われた。大和朝廷の場所と言われる元になったのが外来土器の分布図だ。全国からの土器が出土していることがよくわかった。古墳時代の最初にこれだけの都市があり、全国の人々が交流していたのだから当然大和朝廷の始まりがここだということになる。(諸説あり)
 それにしても、どこを掘っても遺跡に当たると言われている土地ならではの埋蔵文化財の多さだ。奈良は本当に面白い。

 

 

 

 

2019年12月11日 (水)

半跏思惟像

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 奈良二日目。今日は斑鳩の里に車で向かった。目的地は法隆寺。宿から一時間弱で到着した。朝が早かったので人影もまばらな境内をゆっくりと散策した。
 法隆寺は鎮魂の寺とも言われている。1400年続く木造建築の寺院は世界最古だ。南大門から入り、土塀を鑑賞しながら中門に向かう。土塀の続く景色が素晴らしい。
 西院伽藍に入り、五重塔と金堂を見ていたら係の人が話しかけて来た。ガイドではなく警備の人だったが、金堂の成り立ちや素材の説明をしてくれた。金堂の扉がヒノキ一枚板でできていて、縦格子窓が一枚板のくり抜きだと教えてもらう。なんと巨大なヒノキが材料であることか。中門のエンタシス柱は巨大なヒノキの縦四分の1で一本の柱になっているとのこと。知らなかった。飛鳥時代に道具もないのに、どうやってこの巨大なヒノキを加工したのだろうか? どうやってこの巨大な建物を組み上げたのだろうか? 係りの人と三人で「不思議だねえ・・」と首をかしげた。
 

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 国宝の建物、国宝の仏像、国宝の仏具、おびただしい宝物の数々が法隆寺にある。大宝蔵院にはそれらがずらりと並んでいる。最初に並んでいる観音像6体に目を奪われた。その表情のにこやかなこと肢体のしなやかなこと。有名な夢違観音像よりも素晴らしかった。
 百済観音を参拝中に女子高校生の一団に飲み込まれた。クラスごとに案内人が付いていて説明するのだが、案内人の説明がそれぞれ違うのにびっくりした。ほとんどの子がそのまま通り過ぎるのだが、何人かの子が像に手を合わせていた。なんだか少し救われた気がした。
 大宝蔵院の最後に百万塔が展示されていた。恵美押勝の乱の犠牲者を弔うために造られたもので轆轤で相輪まで精巧に造られたもの。木地師の祖先たちの技の素晴らしさを目に焼き付けた。
 

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 夢殿を参拝し、本日の目的地中宮寺に向かう。ここにあるのが表題の半跏思惟像。大きな鉄筋コンクリート造りの建物に安置されている中宮寺の御本尊だ。正式には如意輪観世音菩薩という。半跏思惟というのは片膝を組み、考える像という意味。微笑みの美しさは東洋のモナリザにも例えられている。人間の救いをいかにせんと思惟されている清純な気品をたたえている。素晴らしい仏像だ。
 最前列に座り両手を合わせてじっと像を見つめる。幸せな時間が過ぎていく。漆黒の像の美しさは何に例えれば良いかわからない。ただただ像を見つめていた。
 

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 二時近くなって遅い昼食。法隆寺参道にある平相で柿の葉すしランチを食べる。寒い日だったので煮麺が美味しかった。
 昼食後は近くの藤ノ木古墳に向かった。ところが見ようと思った斑鳩文化財センターが休館日でがっかり。藤ノ木古墳は駐車場がないので離れた広場に車を止めて見にゆく。巨大な円墳は年に一度だけ内部の公開日があるそうだが、当然ながらこの日は扉に鍵がかかっていて中には入れなかった。

 

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 時間が余ったので葛城山に向かう。役行者が生まれて育ったと言われている山を見に行った。ロープウェイに乗って山頂に行っても市内はガスで見えないとわかったので乗らなかった。
 
 寒かった法隆寺でどうやら風邪をひいてしまったようで、くしゃみと鼻水が止まらない。途中のドラッグストアで風邪薬を買って宿に帰って来た。さてさて、明日はどうなることやら。

 

 

 

2019年12月10日 (火)

西の京

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 奈良に来ている。橿原神宮駅前のホテルから西の京まで電車で移動し、秋篠寺→西大寺→唐招提寺→薬師寺と回った。一日歩いて、寺を巡り、仏像を観て手を合わせた。一番会いたかったのは秋篠寺の技芸天だった。絵を描く事も芸の一つと考えれば、技芸天に手を合わせるのも真剣になる。柔らかな姿と優しい顔を見ているだけで時間を忘れた。また、秋篠寺の苔の庭園が素晴らしかった。万両の赤い実が緑の苔に映える。クチナシのオレンジ色の実が青空に映える。素晴らしい庭園だった。
 

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 西大寺では伽藍の大きさと仏像の取り合わせが様々で面白かった。中でも目を引いたのは愛染堂の
愛染明王坐像だった。小さいが精巧な木像で、その素晴らしさに目を奪われてしまった。四隅を護る
四天王像も素晴らしかった。仏像の素晴らしさは大きさではないことを実感した。
 大和西大寺駅の駅中ショップが素晴らしかった。活気にあふれ、飲食店も充実していて展望デッキもある造り。駅の中でありながら楽しく時間を過ごせる工夫が至る所で作られていた。こういう駅が東京にも欲しいと思った。
 

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 唐招提寺で一番見たかった場所は「戒壇」だった。鑑真和上の坐像は非公開なので見られず、和上が作ったこの戒壇こそが唐招提寺の象徴だと思ったからだ。初めてみた戒壇はジャワ島のボロブドゥール遺跡の基壇に似ていた。ここで聖武天皇が授戒を受けたのだと思うと身が引き締まる思いがした。多くの観光客は金堂と講堂に集中していて、戒壇を見る人は少ない。もったいないことだ。
 

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 薬師寺に入って、食堂(しきどう)で修学旅行の生徒相手に話す僧侶の講話が面白かった。下手な落語家よりも話が面白く生徒たちの爆笑を誘っていた。
 1300年前に造られたとは思えない仏像と建物に驚き時空を超えた奈良の力に気付かされた。金堂も講堂も真新しく、古さは微塵も感じさせないのだが、この寺域は天武天皇の時代からこの場所で人々の安寧を祈って来た。すごい場所であり、すごい寺であり、すごい仏像群なのだ。持統天皇がこの場所を歩いていたのだなどと思いたかったのだが、工事の作業音や修学旅行生徒たちの喧騒で想像の翼は羽ばたいてくれない。少し残念なことだが、人けのない早朝にでもくれば別の空気を味わえるのかもしれない。
 

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 奈良の1日目。終いの紅葉が見られ、素晴らしい仏像を味わうことができた1日だった。奈良は期待を裏切らない素晴らしい場所だ。明日は斑鳩の里に走る予定。

 

 

 

 

2019年12月 6日 (金)

奥宮祭りをアップ

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 12月6日、ホームページの山里の記憶コーナーに「奥宮祭り」をアップした。6月にオオカミのお姿を刷る猪狩神社の取材をしてから楽しみにしていた取材だった。奥宮での神事の最後に全員で鬨の声を上げるという奇習を楽しみにしていた。鬨の声はオオカミの遠吠えとも言われており、それを自分の目で見るというのも楽しみだった。
 猪狩山への登山は思った以上に厳しいもので、日頃の不摂生を痛感させられた。氏子の皆さんの足取りが確かな事は、この登山を毎年続けているからなのだと思う。陽造さんの孫で8歳の愛子ちゃんは3回目の登拝だというのにも驚かされた。
 

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 山頂の社(やしろ)は二つあった。氏子と参拝者が持参したお供えですぐに社前がいっぱいになった。その中に秋刀魚の開きがあった。例年だと山頂でサンマを焼いてみんなで分けて食べるのだが、今年は強風で中止になったのが残念だった。なぜ山頂の神饌に秋刀魚なのか、聞いても誰もわからない。昔からそうしているからとのことだったが、思い出したのは飯田の八幡様の神饌の事だった。飯田の八幡様の例大祭(鉄砲祭り)直会でも必ず秋刀魚の開きを食べていた。どう繋がるかわからないが、山の神様は秋刀魚が好きなようだ。
 

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 氏子が各家から持参した赤飯がずらりとヒノキ葉の上に並ぶ。神事が終わると食べて良い。お供えも好きな人が持ち帰っていい。参拝者だけに特別のお守りが配られたり、氏子と参拝者が密接につながっていることがわかった。
 小さい耕地の小さい神社。しかし、その歴史は古く、連綿と受けつがれてきたお祭りがあった。オオカミ信仰の研究者くらいしか目を向けなかったお祭りにこれだけ多くの人が集まって盛り上げる。  
 氏子も特別なお守りを作ったり、御朱印を発行したりと参拝者との関係を大切に育てている。その真摯な姿は信仰によるものでもあり、神社活性化の工夫や手段でもある。
 

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 自宅に戻った陽造さんに話を聞いた。93歳のご母堂がこんにゃく玉を整理していた。普段はデイサービスに通うのだが忙しい時は畑仕事を手伝うという。お土産にいただいたこんにゃくは、このこんにゃく玉を加工した自家製だった。味が浸みてとても美味しい煮物になった。
 狩猟もやる陽造さん。大きな鹿の角を見せてくれた。今年一番の大物だったという。山の生活には全てがある。陽造さんは神社保存会の会長や農協の理事、蕎麦生産組合の副会長、こんにゃく生産組合の副会長などをやっている。実に忙しい山の生活だ。今回は神社の取材だけだったが、聞きたい事はたくさんあった。しかし残念ながら、その時間がなかった。

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