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2019年10月

2019年10月29日 (火)

11月1日夜9時半・テレビ埼玉放送

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先日来取材を受けていたテレビ埼玉の放送が決まりました。

 

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 11月1日(金)夜9時半「ニュース930」の中の特集で放送されます。
 内容は面影画展の案内と山里の記憶の活動について。
 具体的にはどうなるかわかりません。

 

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 なお、当日に大きな事故や事件があると放送されない可能性があります。

 

 

 

 

2019年10月25日 (金)

空の青さを知る人よ

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 10月24日、池袋の映画館に映画を見に行った。見た映画は「空の青さを知る人よ」というアニメ映画だった。秩父を舞台にしたアニメ映画三部作の三作目の作品だ。秩父が舞台ということもあり、話の種になるかと思い何となく見に行った。若い人向けの映画だし、とりあえず見ておこうという軽い気持ちで足を運んだ。
 ところがこの映画、66歳のジジイの胸に強烈に突き刺さった。一体突き刺さったものが何だったのかと一晩考えた。映画の紹介になるのかもしれないが、とにかく考えさせられた。考えた結果以下のように考えがまとまった。長文です。
 
 映画はあかねとあおい二人の姉妹が暮らす秩父市が舞台。知っている場所が映画に次々登場し、秩父観光案内ビデオのような感じで始まった。高校を出てミュージシャンを目指し東京へ出る少年と見送る姉のあかね。ネタバレにならないようストーリーはその辺で終わらすがこの映画で何が突き刺さったのかを考える。
 キーワードはことわざ。「井の中の蛙大海を知らず・・されど空の青さを知る」という言葉。これが映画のタイトルにもなっている。空の青さを知る人という言葉が刺さったのだ。高校まで秩父で過ごし、まさに「井の中の蛙大海を知らず」になるのが嫌で東京に飛び出した。蛙(かわず)はまるで自分の事だった。
 
 自分にとって東京に出るということは当たり前の決断だった。しかし多くの友人たちは秩父にとどまった。東京で一心不乱に働き、それなりの仕事や地位も得て、家を建てることも出来た。成功したはずなのに、何か物足りない。そんな気持ちが後押ししたのか13年前から秩父に通って「山里の記憶」という絵を描くライフワークを続けている。自分なりに、消えゆくものを残すとか子供時代の懐かしい味や技を求めてと理由づけているが、本当にそうなのかは疑問が残る。何か違う根本的なものが自分の気持ちの奥にあるような気がしていた。
 
 東京に家を建て、終の住処を築いたはずだった。しかし、そこは山が見えない都会のただ中だ。まるで大海に漂う笹舟のような気すらする。周囲とのコミュニケーションはなく、水に漂う根無し草のようでもある。
 若い時は周りを気にすることのない都会が良かった。誰にも干渉されずに自由に生きてきた。その結果手に入れた自分だけの世界だったはずだった。大海に飛び出して成長した人間になったはずだった。東京に出て約50年、それなりに頑張った。しかし何か物足りない。
 秩父に通い、多くの人を取材して多くのことを勉強した。皆秩父で生まれ、秩父で生きてきた人たちだ。まさに「空の青さを知る人」たちだった。
 
 母親は秩父から一度も出たことがなかった。温泉にでもと旅行に誘っても頑として秩父から出なかった。テレビの旅行番組が好きで「外のことはテレビを見ればわかるから・・」と笑っていた。秩父から出ることを母親は「外に出る」と言っていた。実家を継いだ兄は一度浦和に出て秩父に戻った。高校時代の友人はずっと小鹿野で割烹料理店をやっている。
 何かを守るために秩父にいる人がいる。子供を守るため、親を守るため、実家のお墓を守るため、年に一度のお祭りを守るため、先祖伝来の田畑や山を守るため、など様々だ。その全てが「空の青さを知る人」たちなのだ。大きな根っこを持っている。
 
 高校を卒業したばかりの自分にもし今会えたら何を言ってやれるだろうか。お前が考えているほど秩父は狭くないよ。お前が考えているほど東京はいいところではないよ。眩しく見える場所には、眩しければ眩しいほど暗い影の部分があるんだよ。煩わしい人間関係は時間が経てば快適な関係になるんだよ。お金よりも大切なものがあるんだよ。・・そんな事くらいは言える気がする。
 若かったから「井の中の蛙大海を知らず」という強迫観念しかなかった。「空の青さを知る」ことの意味がわからなかった。この映画が胸に刺さったのは若かった自分への郷愁だったかもしれない。
 
 空の青さを知ることと井戸から出て大海を知ることのどちらが優先されるかはその人による。自分の人生は自分で選んだ人生だ。人それぞれ様々な人生を生きている。
 ともすれば大海を知ることを優先して、井戸の中にいることを遅れていると見ることもあるだろう。しかしそれは違うとこの映画は言っている。故郷を出た人間は誰でも故郷に帰りたいという願望がある。しかし帰れない人間が大多数だ。口にはしないが故郷は遠くにありて思うものと諦めている。郷愁という琴線に響く言葉がそれを表す。

 

 郷愁というものが何かと言えば、それは故郷に帰ることが出来ない人の諦めの感傷だ。帰りたくても帰る場所がない。そんな状況が、そんな思いが郷愁という言葉を紡ぐ。
 大海を知るために外に飛び出した人間が、井戸の中で空の青さを知る人間を思う。いや、思うのではなく憧れる。日本中の田舎から都会に出た人に突き刺さる映画だと思う。自分の原点は何だっかのかと問われる映画だ。久しぶりに、いや、初めて心に突き刺さる映画だった。

  

 

 

 

 

2019年10月23日 (水)

絵を届けて台風の爪痕を見る

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 10月23日両神の滝前に「樹皮細工」の絵を届けに行った。
 途中の「車両通行止め」の看板を横目に見て奥に進むので運転も緊張した。工事用の大きなダンプカーともすれ違い、崩れている場所を避けながら進む。ブルーシートがかけられた崩落場所もあった。作業員が寄ってきて「奥にはいけませんよ!」と言うが「山中さんの家までですから」と言って先に進ませてもらう。

 

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 昨日の大雨で滝前に行く途中でも至る所で沢から水が噴き出していて怖いようだった。川は大増水していたが、台風19号の時はもっともっとすごかったはずだ。台風の爪痕を見に行くような事になってしまったが山中さんの家まではいけるはずだった。

 

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 山中さんの家がある滝前地区は台風19号の際に道路が崩落して通行止めになっていた。絵を届けた山中正彦さんの家の上流百メートルの場所で道路が四十メートルほど崩落して工事中だった。大きな重機が巨大な土嚢を釣り上げて河原を造っているところで、まだ開通のめどは立っていない。
 工事の様子を見たのだが、大規模な崩落で、どれだけすごい雨と濁流だったかがわかった。
 

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 正彦さんは絵をとても喜んでくれた。「天気がいいから外で・・」と、外でお茶を飲みながら色々な話をした。「埼玉民俗の会」の会員でもある正彦さんの知識と技術は生活に即したもので「山村民具と自然素材」というテーマで機関誌に論文発表している。まさに山里の記憶が求める「技」の世界で、勉強になる事ばかりだった。これをまとめて絵に出来たらすごい本が出来そうだ。山里の記憶の延長上にある世界が少し見えた気がした。

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2019年10月21日 (月)

樹皮細工をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「樹皮細工」をアップした。取材した山中正彦さんは61歳とまだ若いが、山里の昔ながらの技を伝承している山人だ。狩猟歴は30年だが「まだ30年じゃあヒヨッコだいねぇ」と笑う。作業場の壁や天井には様々な手仕事の材料で埋め尽くされている。何でも自分で作りたいという言葉を実践している。また、ものつくりの際に釘や針金を使わずに、いかに美しく作るかを追求している技術者でもある。
 

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 思えばほんの40年前まではホームセンターなどなく、昔の人は何もかも自分で作ったものだった。人間の能力として比べると、今の人よりも昔の人の方がはるかに素晴らしい技能を持っていた。ちょっとした家くらい自分で建てたものだった。山仕事の道具や農具、カゴ、ざるなどなど普通に作れる人がいた。今は何でも店で買うようになり、自分で作る人がいなくなった。作る人がいなくなったという事は、技術が失われていることになる。また、作る材料の知識が失われて行くことにもなる。技術を伝えるという事は本当に難しいけれど、やらなければ消えてしまう大事な事だ。
 

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 正彦さんのような人がいてくれる事は秩父にとっても救いだ。多くの人にこの技術を伝えて欲しいと思う。自然素材の素晴らしさ、作る楽しさ、使う楽しさ、味わう楽しさ・・・何もかもが大切な事だ。「おがの紙漉き伝承倶楽部」での活動も素晴らしい。消えようとしている紙漉きを復活させ、後世に伝える活動は、我々の先祖の姿を伝えるに等しい。失われた過去の情景が伝承倶楽部の活動で蘇る。多くの人が参加して楽しんでいる姿を見ると、すごいことをやっているなあと思う。言葉や絵や写真・ビデオでなくて実際に目の前で行われている紙漉き作業。最初からか最後まで体験できる場所はここしかないのではないだろうか。
 

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 取材の最後におっ切りこみを食べながら「携帯が通じないんがいいんだよ・・」とSNSに翻弄される昨今の状況を皮肉った。スマホを手離せない人々は何が楽しくて生きているのか・・素朴な疑問が口から出る。人生は自分が主役なんだから、誰かや何かに振り回されるような人生は違うんじゃないか? とこれまた最もな言葉が続く。山の事を仕事にしたかったという正彦さんの人生は確かに他の人ではできない人生のようだ。手技の追求という魅力ある人生が大きく花開く時が来るかもしれないと思った。

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2019年10月 9日 (水)

山小屋の解体は11月23日(土)に

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 瀬音の皆さんこんにちは。
 10月13日(土)に予定されていた小菅の山小屋解体作業は台風直撃予報により、11月23日(土)に延期いたします。
 一ヶ月先に仕切り直しになりますが、以下の内容で改めて参加者を募りたいと思います。

 小菅の山小屋解体作業
 実施日 11月23日(土)朝から作業
     山小屋の解体及び不燃物の担ぎ降ろし。
     23日夜は小菅の廣瀬屋さんに宿泊。夕方最後の宴会を予定。一泊二食1万円。
     宿泊なしも可。 のこなた二丁差し&瀬音のヘルメット差し上げます。
     11月24日(日)
     不燃物担ぎ降ろしと片付け作業。小菅の湯で休んで解散。

 持参するもの 丈夫な手袋、バール・ペンチなど解体道具。
     なお、当日の保険加入はありません。怪我のないように作業してください。
     前日22日に山小屋宿泊は自由です。寒いのでそれなりの準備をしてください。

 

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 一ヶ月解体が伸びました。11月3日・4日など山小屋を使える日があります。最後の思い出にぜひ山小屋で焚き火を楽しんでください。

 

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樹皮細工の取材

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 10月8日、秩父郡小鹿野町両神の滝前に樹皮細工の取材に行った。取材したのは山中正彦さん(61歳)で、ナタの鞘になる樹皮細工の技を見せていただいた。正彦さんは「おがの紙すき伝承倶楽部」の会長を務めるなど、多くの山仕事の技を伝える若き伝承者だ。
 樹皮細工の文化は東北が盛んで、角館の山桜の樹皮を使った伝統工芸品は大きな産業にもなっている。残念ながら秩父では樹皮細工の文化は大きく育たなかったが、山仕事をする人は個人的にナタの鞘や鎌の鞘を樹皮で作っていた。その一端を今回見ることが出来た。
 

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 樹皮を利用する木は数多い。有名なのはキハダで、内皮が薬用に使われる。正彦さんも採集したキハダの内皮を保管していた。ひとかけらなめてみたら苦いこと苦いこと。胃薬の味だった。今はキハダソープなどの製品も作られている。肌に良いと言う効能も発見されている。
 メグスリの木は樹皮を煎じた水で目を洗うと良いと昔から珍重されている。今回使ったサワグルミの樹皮は主に細工物になる。クルミの樹皮の表裏を交互に編むと白黒の市松模様ができる。有名なものはヤマザクラの樹皮。使えば使うほどに艶を出す樹皮は様々な加工物に使われる装飾品だ。昔から大事な道具の飾りに使われている。ヒノキの樹皮も独特の艶を持ち、丈夫なのでナタのさやなどに使われる。
 

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 昔はヒノキやスギの皮を剥いで乾燥させ、屋根材や壁材に使ったが、最近はなくなった。桧皮葺のヒノキは特別に仕立てるもので、普通のヒノキ樹皮ではない。樹皮を利用することがなくなって、樹皮は単なる廃棄物になってしまった。勿体無いことだと思う。
 正彦さんもそんな思いからせめて自分が使う道具には自分で作った入れ物を使いたいと思って樹皮の鞘作りをしていると言う。山仕事には様々な道具があり、専門の入れ物が必要になる。昔の人は自分なりに工夫して使い易い入れ物を作ってきた。その伝統を自分の手で伝えたいという正彦さんは何でも自分で作ってしまう。それも、綺麗に作ることを信念にしている。様々な樹皮の細工物を見せてもらった。どれも素晴らしい手業だった。
 

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 今回はテレビ埼玉の「山里の記憶」の取材クルーが同行しての取材だった。大きなテレビカメラの前での取材になって緊張するかと思ったのだが、普通に取材できたのでよかった。クルーから要求などもなく自然な流れで取材が進んだので意識せずにできたことが良かった。
 テレビ取材はこの後、自宅で絵を描く場面を取材して11月に放映されるとのこと。日時はまだわからない。どんな番組になることやら。

 

 

 

 

2019年10月 4日 (金)

面影画展で取材を受ける

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 10月3日、鴻巣にある埼玉県防災学習センターに行った。防災学習センターでは9月4日から11月4日まで「面影画展」が開催されている。
 この面影画展についてテレビ埼玉から取材したいと連絡があり、出かけた次第。まずは防災学習センターの石井さんと今後の展示についての打ち合わせをする。後半に展示替えをしたいとのことでどの作品を展示するかを確認した。
 

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 テレビ埼玉の撮影クルーが到着し、打ち合わせする。面影画の元になった「山里の記憶」について話し、その取材も加えて11月の放送にしたいとのこと。生放送に出演してもらえないかという依頼もあったが、それは断った。
 面影画展示コーナーでのインタビュー撮影をする。まずは展示してある絵の話をした。その後、椅子に座ってインタビュー撮影。様々なプロデューサーの質問になるべく簡潔に答える。思いがけない質問もあって戸惑ったところもあるが、概ね簡潔に答えられたと思う。
 

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 東日本大震災から8年、記憶は薄れることなく鮮明さが増すような気がした。復興は未だならず、悲しい喪失の記憶は消えることはない。こうして時間が経った後でも、自治体やテレビ局で取り上げてくれるのは本当にありがたいことだと思う。
 自分から言うことではないが、こうして聞かれれば話せる限りを話したいと思う。

 

 

 

 

2019年10月 2日 (水)

広州恒大に勝った

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 ACL準決勝第一レグ、レッズは中国の広州恒大と埼スタで激突した。リーグ戦では不調なレッズだがACLになるとまるで別のチームになる。広州恒大はブラジル人トリオが素晴らしい働きをするチームなので勝つのは難しいと思っていた。引き分け上等の戦いを予想していたので応援には熱が入った。試合開始前のコレオグラフィティが素晴らしかった。こういう流れが雰囲気を変える。
 

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 試合の蓋を開けてみればリーグ戦の不調が信じられない素晴らしい戦いが目の前で展開した。なんでこれがリーグ戦で出来ないのかと思いたくなる素晴らしい試合。
 前半にファブリシオの素晴らしいミドルで先制した。スタジアム3万人が総立ちで讃える。リーグ戦と違うのはスタジアムの雰囲気だ。全体から声が出て手拍子が高まる。ACLの戦いは信じられないように声が大きい。もちろん自分も声を枯らして叫び、手拍子を叩く。
 

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  後半もレッズが押す。そんな中、目の前のコーナーキックからの流れで関根が目が醒めるようなミドルを広州のゴールに突き刺した。スタジアムは総立ち、全員が両手を天に突き上げる。
 素晴らしいゴールだった。関根の抑えた鋭い弾道のシュートがスローモーションのように目の前を走った。これで二点差。圧倒的に有利な情勢になった。
 

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 結局2対0でレッズの勝利。素晴らしい結果だった。しかし、これはまだ前半戦。勝利の歌は歌われることなく次戦に持ち越した。
 帰り道、広州恒大のサポに「残念だったね、ネクスト、ネクスト」と声をかけたらなんと日本語で「いやあ、レッズはすごいですよ」と返事が帰ってきてびっくり。そのまま駅まで話しながら歩いた。広州恒大は中国スーパーリーグで首位を走っているのだが、どうも内情はあまり良くないようだ。まあ、レッズはJリーグ13位な訳で、申し訳ないような気持ちになった。広州恒大のサポが「でも、Jリーグの中ではレッズが一番好きですよ」と言ってくれたのが嬉しかった。

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絵を届けて小菅へ

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 10月1日、千鹿谷鉱泉に絵を届けに行った。絵を届けたのは坂本春子さん(75歳)で、春子さんは絵をとても喜んでくれた。102歳になるお母さんが入院してこれから病院に行くところだということだった。忙しい中でバタバタと絵の説明をして今後の話をした。「ご主人によろしく」と伝えて忙しく別れた。
 

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 千鹿谷から秩父市内に走り、秩父工機という店でチェーンソーの替え刃とソーオイルを買う。これは今月13日に行う山小屋解体の為のもの。18年前に間伐材で作ったログハウスを解体する時に使う。マイチェーンソーは20年前にこの秩父工機で買った。その後もメンテナンスが必要な時はここに持ってきている。いよいよ解体のためにチェーンソーを使う日が近くなってきた。
 

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 秩父から小菅に走る。今年は一度も使うことのなかった山小屋だった。13日の解体にはたくさんの仲間が参加してくれることになっている。車の駐車スペースの確認や、不燃ゴミの置き場所などの確認をした。山主の舩木さん宅に伺い、事前の話し合いをして確認をした。
 川沿いにある舩木山荘も草木に覆われて見えにくくなっている。この山荘もそろそろ解体しなければならいとのこと。不燃ゴミはその時に一緒に処分することになった。
 

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 18年前に舩木さんのヒノキ林を間伐する際に、切り倒した間伐材でログハウスを作った。登山道を30分登った場所にログハウスを作るという作業は約一年、のべ200人の参加で可能になった一大事業だった。出来上がったログハウスは10人宿泊可能で、毎年大勢の仲間が利用したものだった。特に山小屋の焚き火は懐かしい思い出が詰まっている。
 

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 18年経過したログハウスだが、まだまだ使用に耐えている。しかし、作った人間の責任として解体までする必要があるのではないか・・と思い始めたのは最近のことだった。
 18年経過したのは人間も同じで、病と闘う仲間も増えてきた。体力も落ち、山登りもできない仲間も増えてきた。まだ余力があるうちに解体して18年の整理をしようと決まったのは昨年の秋だった。いよいよ「瀬音の森」の象徴でもあった山小屋の解体の日が近づいてきた。

 

 

 

 

 

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