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2018年8月

2018年8月30日 (木)

ぶどう栽培をアップ

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 ホームページの秩父・山里の記憶コーナーに「ぶどう栽培」をアップした。取材した守屋ぶどう園は昭和47年からぶどう栽培を始めた。今まで直売場などに出荷せず、販売と予約注文だけで完売すると聞いて驚いた。長年の信用と確かな味がなければ出来ない事だ。昨今の消費者は新しいものに引かれるし「うちは古い品種が多いから」という幸彦さんの言葉が信じられないようだった。
 
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 ぶどう栽培はものすごく手間がかかる。それも人間の手作業でやらなければならない事が多いし、細かい作業も多い。40年間続ける事の大変さはよくわかるつもりでいたが、一緒にぶどう園を歩いてみてその事を痛感した。顔の高さにあるぶどう棚が微妙に腰にくるのだ。この態勢で一日作業するのは本当にきついと思う。ましてや幸彦さんは173センチの長身だ。それでもこの歳まで続けられたのは「好きだからやって来られたんだと思うよ」という言葉に言い尽くされている。
 
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 今年は花の時期が早くておかしかったが、猛暑のせいで小さめの粒でもとても甘く出来上がった。高温障害が少し出ている以外は順調な出来上がりだという。
 奥さんが忙しく収穫作業をしていた。今日発送するものを収穫している。注文発送は全部で400個を超えるそうだ。房の状態を確認しながら収穫し、糖度を測って箱に詰め込む。10月中旬までその作業が続く。取材中にもぶどうを買いに来た人がいた。リピーターだけで完売するぶどう園というのも多くはないだろう。
 
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 年間作業の事を聞いたが、とても詳細には書ききれない。知らない人間が聞いて書いている事だから、多分間違いや足りない部分もあると思うが、作業の多さに目がくらむ思いがした。これだけの作業をこなしながら、毎年ぶどうを作り続ける。幸彦さんの淡々とした口調にその誠実な人柄と仕事の確かさを見た。ことさら強調する訳でもないその語りの奥に、今までやって来た事への自信と自負を感じた。
 それが「好きだからやってこられた…」という表面上の言葉に集約されているのかもしれない。実績に裏打ちされた言葉には強いメッセージがある。
 
 
 
 
 

2018年8月29日 (水)

甘酒祭りの取材

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 8月27日と28日の二日間、両神滝前に甘酒祭りの取材に行った。取材したのは黒沢マサ子さん(81歳)で、二日にかけて、甘酒を作るところから取材させてもらった。
 このお祭りは譲沢(ゆずりさわ)の薬師様縁日に行われるもので、現在は耕地4軒で維持している素朴なお祭りだった。縁日は28日で、前日に甘酒を仕込む。今回は甘酒を仕込むところから取材させてもらった。
 
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 27日昼にマサ子さんの家に近所の女衆二人(新井みとしさんと山中茂美さん)が来た。マサ子さんはすでに9合の米をお粥に炊いて待っていた。お粥を瓶(かめ)に入れて冷ます。人肌に温度を下げないと麹菌が死んでしまうからだ。交代でうちわであおいでお粥を冷ます。麹は麦麹で1キロもの量を使う。米麹だと発酵が遅く、甘酒になるのが遅くなる。
 麹を瓶に入れてかきまわすとすぐにお粥が茶色になりゆるくなる。これをひと晩暖かく放置すれば甘酒になるとのこと。夜にマサ子さんが二回ほど攪拌する。
 
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 みんなで寺尾根の薬師堂に向かう。明日の縁日を前にきれいに掃除するためだ。マサ子さんのご主人啓作さん(85歳)が沢からバケツ二杯の水を汲んで天秤棒で担ぎ上げる。足腰が達者で動きが素早いのに驚かされる。女衆が協力して掃除が始まる。一年ぶりの掃除だからホコリがすごい。掃いて雑巾掛けをしてきれいになったお堂にゴザを敷けば準備は完了。明日の朝9時半集合ということで薬師堂から下りる。
 
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 28日九時半、昨夜の雨で湿った山道を登ると薬師堂にはすでにみとしさんと茂美さんが来ていた。薬師様に灯明が上がり、大きなアジサイの花が供えられている。三人でマサ子さんの家まで行き、甘酒を瓶(かめ)からバケツに移して薬師堂に運ぶ。薬師堂には別の瓶(かめ)があり、甘酒はその瓶に入れられた。マサ子さんも大きな荷物を持って来た。耕地のトヨ子さんが到着した。啓作さんは用事があって昼からの参加になる。
 茂美さんのご主人、山中正彦さんがテキパキと段取りして甘酒まつりが始まった。全員が薬師様に参拝した後、大きな茶碗で甘酒が配られる。全員で甘酒を飲み、講評する。今年の甘酒は甘くて良い出来だという結論になった。みんなが持参の手料理を広げて分けて食べる。
 
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 昔は10軒以上の家があり、子供もたくさんいて子供たちのために駄菓子販売などもしていた。煤川(すすがわ)とか大谷(おおがい)からも人が来てすごくにぎやかなお祭りだった。若い人は前の晩から薬師堂に籠もって酒盛りをしたのだそうだ。
 今は四軒の人だけで運営され、今回は6人の参加で行われた甘酒祭りだった。尾根の静かな空気を吸いながら甘酒を飲む。時折カケスの鳴き声が聞こえる他は昨夜の雨を流す沢の水音だけが聞こえる山の中。みんながそれぞれ持参した料理が配られ、それを食べながらの四方山話が続く。正彦さんによると、こういう交流が地域には欠かせないからずっと続けたいとのこと。年に一回みんなが集まって薬師様に感謝する。山の中の素朴なお祭りだが、甘酒の味とともに忘れられないお祭りになった。
 こんな素朴なお祭りがあったのだという新鮮な感動がじわじわと湧いてきた。
 
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2018年8月17日 (金)

ぶどう栽培の取材

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 8月16日、小鹿野町両神の守屋ぶどう園にぶどう栽培の取材に行った。取材したのは守屋幸彦さん(80歳)で、苦労の多いぶどう栽培の話ややりがいなどについて聞いた。
 幸彦さんは40年以上ぶどう園を経営していて、ぶどう栽培のプロだ。「今はどんどん新しい品種が出てくるけど、うちは古いのが多いねえ…」とマイペースだ。道の駅などへの出荷はしておらず、直接販売と注文発送ですべてが完売するという。長い間の実績と味の確かさが自信の言葉になっている。
 
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 居間で栽培の話を聞いた後、ぶどう園の中を見せてもらった。「草刈り正雄」という名前の草刈り機を運転して見せてくれた。九州産の働き者だと笑っている。ちょうど出荷が始まったところで、奥さんと娘さんが大忙しだった。忙しいところで取材させてもらって恐縮しながら話を聞かせてもらった。
 年間の栽培手順と方法。奥さんも一緒になって「これをやって、次はこれをやって…」と次から次に話が出てくる。ぶどう栽培は手間が掛かるのは知っていたが、ぶどう園に入って、低いぶどう棚の下を歩くとその大変さが良くわかる。幸彦さんは173センチの長身だから、余計大変だ。腰が痛くなる毎日だという。私が思わず「あと10センチ棚を高く出来なかったんですかねえ?」と言うと「まあ、こんなもんだから」とたしなめられた。
 
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 最初14軒でスタートした小鹿野町のぶどう生産だが、今は3軒だけになってしまった。高齢化が進み、後継者がいなければ自然にそうなる。秩父では「秩父ルビー」など若い人が新しい品種に力を入れているが、幸彦さんはやっていない。昔のままで昔のやり方でやってるけど、その方がいいことだって多いのさと笑う。
 「続ける事は大変だけど、好きだからやってるんだなあって思うよ…」という言葉が一番印象的だった。今はリピーターのお客様を満足させるのがやりがいだという。
 
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 取材を終えて立派なぶどうの詰め合わせを頂き恐縮してしまった。「こんな高価なものを…」と言うと「高価だよ〜〜いい絵を描いてもらわなくっちゃ…」と奥さんが笑いながら応えてくれた。がんばっていい作品にしなければならない。
 
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 取材を終えて吉田に移動し、「豆乳」の絵を新井玉枝さんに届けた。玉枝さんは絵をとても喜んでくれ、お礼にとぶどうの包みを出した。「いや、ぶどうは頂いてきたので」と辞退して近くの友人、田中さん宅に伺っていろいろ話していた。そこへ玉枝さんが「どうしても持って行ってくれ」とぶどうを届けに来た。田中さん夫妻もこれにはビックリで、ありがたく頂くことにした。何と、一日で二回もぶどうを頂くなんてすごい事になった。
 
 
 
 
 

2018年8月15日 (水)

アジとサバが来た

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 8月15日、JICKYさんから「アジ釣りに行ったのでアジを届けます」との電話があり、8尾のアジと2尾のサバが届いた。早朝から釣りに行ったとのこと。ありがたく頂き、さっそく料理にかかった。
 
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 サバは三枚に下ろし、塩で締めてしめ鯖にする。新鮮なサバなので匂いもないし身も弾力がある。レシピ通りに締めて甘酢に浸けて冷蔵庫で保管する。
 アジは全部三枚に下ろす。大きなものは刺身にする。小ぶりなものは全部アジフライにする。釣りたてのアジのフライは本当に旨いのでフライを多めに作る。
 
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 3時間置いてしめ鯖が出来上がった。さっそく皮を引いて切り分ける。アジの刺身と一緒にしめ鯖を大葉を敷いた上に盛りつける。半分のしめ鯖はゴマと大葉を混ぜた寿司飯で手まり鮨にする。ラップで丸めて見栄えのいい手まり鮨が出来た。
 
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 約一時間で全部の料理が終わった。7時からサッカーの中継があるので、試合開始までに終わらせなければならなかったからだ。そして、サッカーを見ながら贅沢な夕食を食べている。
 こうして新鮮な魚を届けてくれる友人に感謝しながら、勝ち試合を見るという至極の時間。本当にありがたいことで、感謝の言葉しかない。
 
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 そして我が浦和レッズが4:0で勝っている。何という幸せな一日の終わりか。
 
 
 
 
 

盆棚を取材

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 8月14日、両神・滝前の山中正彦さん(59歳)を訪ね、盆棚の取材をした。盆棚とはお盆の時期に仏壇と別にご先祖様の棚を作り祀るもの。そのしきたりは宗派や家例によって変わり、千差万別の棚があると言われている。
 この忙しい時期にしかないものなので、目にすることがなかった。一度本格的な盆棚を見たいと思っていて、お願いしたところ快く引き受けて頂き取材が実現した。忙しい時期にありがたいことだった。
 
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 山中家の盆棚は曹洞宗の飾り方を手本に、家例で昔から行われていた飾り物を加えている。棚はヒバで作った組み立て式のもの。棚は二段で上には大きな芭蕉の葉を敷く。柱には竹の新子を縛って飾り、竹の葉には五色の色紙が飾られる。棚裾は竹の葉を縄から下げて裾隠しとする。これは桧木の葉を使うこともある。棚上はホオズキをたくさん吊す。盆棚の周囲には卒塔婆、盆提灯、盆花が並び、家名の提灯が天井から下がる。
 盆棚の上の飾り物、供え物は曹洞宗の決まりに沿ったものが並ぶ。
 
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 盆棚がこれほど立派なものだとは思わなかったので新鮮な驚きだった。呼び名も形も各地方によって、家によって違うものと知ると、中途半端に取り上げることは出来ないと気が付いた。山中さんも「俺はまだ57だし、山里の記憶で取り上げてもらう歳じゃないんで…」と遠慮するので、今回は取材だけとした。もう少し色々な例を調べて、自分なりに意見をもたなければ軽々しく取り上げられない対象だと思った。従って「盆棚」は山里の記憶の作品にはならない。取材をしてみてからこういう事もある。
 
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 山中さんは秩父の民具、特に山で使う民具に精通している人だ。オヒョウという木の皮を加工してスカリを編んでいる。簡単に書いたがこれは大変なことだ。おそらく誰にも出来ないことを平然とやっている。そのスカリの見事なこと。本当に素晴らしい。鉈のサヤをヤマザクラの皮で巻く。使う毎に艶が出てその人の歴史になる。山中さんはそれも自分で作る。折りたたみ式の鋸を自作する。何でも自分で作る原点は、なんと木枯らし紋次郎にあったという。中学時代に見たこのドラマのわらじやぞうりに興味を持ち、自分で作り始めた。高校の時にはみのを自作したという。そんな話が面白く時間を忘れた。
 今は「おがの紙漉き伝承倶楽部」の会長をして、紙漉きの伝統を今に伝えている。森林インストラクターとしても活躍しており、民族研究家でもある。自分で実践する活動家だ。
 
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 奥さんが様々な料理をお茶請けにと出してくれた。これがみんなじつに旨かった。紫蘇ジュース、こんにゃくの油炒め、キュウリのサラダ、ヤマメの唐揚げ(これは山中さんが目の前の川で釣ったもの)、自作の梅干し、川海苔で食べるそうめん……山の味を堪能した。
 話が楽しく、料理が美味しく、時間を忘れた。山中さんのような人がいる事は秩父の財産だと思う。これからの活躍を大いに期待したい。
 
 
 
 
 

2018年8月 8日 (水)

豆乳をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「豆乳」をアップした。この取材は豆乳の作り方を聞くというよりも新井玉枝さん(81歳)の昔話を聞く取材だった。豆乳自体は「豆乳メーカー」という機械で作るので特に難しい事ではなかった。今回はたまたま機械の調子が悪く、鍋を使って煮るという手間がかかったが、豆乳は誰でも簡単に作れるものだ。それは承知の上で、玉枝さんの昔話を聞いた。
 
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 話の中で繰り返されたのは、59歳で亡くなったご主人昭八さんのことだった。どれだけすばらしい人だったか、どれだけいい人だったか、どれだけ優秀な人だったかなどなど。「あたしにはもったいない人だった…」「いい人すぎて早く死んじゃって…」そのことだけ語っても時間がたりない程だった。玉枝さんは今もまだ昭八さんとの人生を生きているようだった。
 
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 話のもう一つの柱は苦労したこと。借金の話、舅さんとの長くつらいいさかいの話、一人でやるしかなかった酪農の苦労、重度障害を持って生まれた長男の話、自分の病気の話、昭八さんが事故で亡くなった話、どれ一つを取っても、それだけで心が折れてしまうような話の連続だった。幸せな伴侶の話との対比が極端だった。聞いていて涙が出るようだった。
 占い師に占ってもらったら「あんたの不幸は生まれつきでこれからも変わらない」と言われたそうだ。もう笑うしかなかったという玉枝さんだった。
 
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 それでも、人生はなんだかんだで釣り合いが取れているものだと思う。今は健康で、畑で野菜を作ったり、趣味のカーズブでストレッチや体力作りを励んでいる。八十代の参加者は玉枝さんだけで、まだまだ若い人に負けたくないと笑う。
 苦労の多かった人生だったからこそ、これからの人生は楽しく明るいものであって欲しいと思った。
 
 
 
 

2018年8月 1日 (水)

豆乳の取材

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 8月1日、秩父市下吉田に豆乳の取材に行った。取材したのは新井玉枝さん(81歳)で、十数年前から健康のために毎日飲んでいるという豆乳を作ってもらった。コップ一杯の大豆を水に6時間浸してふやかす。大きく膨らんだ大豆と水1.5リットルを「豆乳メーカー」という機械に入れて豆乳を作る。この機械は十数年前に農協で買った物で、故障がちながらもまだ現役で活躍している。
 
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 今日はこの機械の調子が悪く、途中で機械から出して最後は鍋で煮立てて作った。方法は違っても出来る豆乳は同じと言う事で、そのまま取材した。出来上がった豆乳は容器のまま冷蔵庫に入れて置けばいつでも飲めるので重宝しているという。
 塩をひとつまみ入れるのが玉枝さん流。味はすっきりして美味しかった。大豆の香りが強いのがいかにも体に良さそうだ。「豆乳は何杯飲んでも飲みすぎってことはないから…」と何度も勧められておかわりしてしまった。
 
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 玉枝さんは苦労の連続だった人生を淡々と語ってくれた。玉枝さんが言いたかったことは、苦労したこととご主人の話だった。成績優秀で美男子だった昭八さんは玉枝さん自慢のご主人だった。酪農をしていた家で仕事は大変だったが楽しかった。どんなにいい男だったか、どんなにやさしい男だったかを何度も何度も訴える玉枝さん。63歳という若さで、事故で亡くなったご主人の話が次から次へと続いた。
 一輪車で山の畑に運んでくれたこと。舅と玉枝さんの間に入って家をまとめてくれたこと。川に流された女の子を救助した話。井戸に落ちた近所の奥さんを助けた話。文句のない人だったこと。やさしく強い人だったこと。などなど、時間がいくらあっても足りないほどだった。
「いい男すぎて早く死んじゃったんだぃ…」「あたしにはもったいない人だった…」
 
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 豆乳の話は30分で終わり、その後はご主人の話を3時間聞いた。この取材をどうまとめればいいのか困ってしまう。
 
 
 
 
 

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