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2018年3月

2018年3月30日 (金)

元気な老夫婦を取材

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 3月29日、小鹿野町・般若(はんにゃ)に元気な老夫婦を取材した。取材したのは倉林傳次さん(91歳)と糸子さん(87歳)のご夫婦で、畑仕事をする様子や昔話、昔作った料理などを見させていただいた。
 傳次さんの家は十六様と呼ばれる日本武(ヤマトタケル)神社のすぐそばにあり、子供の頃からお神楽の演者として活躍してきた。昭和20年から十六歌舞伎の興行に関わり、中心的な活動をしてきた。まとめ役として、また演者として十六歌舞伎を支えてきた人だった。
 
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 二人とも矍鑠として腰も曲がっておらず、普通に畑仕事をしている。この日はジャガイモのダンシャクを植え付けていた。サクを切り、種芋を置いて肥料を入れ、埋め直す。その上に黒マルチをするという。今年は暖かいので作業の時期も早いそうだ。
 畑の作業を途中で切り上げてもらい、家に戻ってお茶を飲みながら昔の話を聞いた。昭和29年のご祝儀の話から始まり、水で苦労した話、神蔵の話、歌舞伎の話などなど話が尽きなかった。
 
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 糸子さんがお昼用に昔作ったというやきもちを作ってくれるというので、その過程を取材した。「昔はネギでも入ればごちそうだったけどね…」と笑いながら今風なやきもちを作ってくれた。「孫が好きでね」と手早く混ぜる材料は冷えたご飯・干しアミエビ・キャベツの千切り・刻みネギ・しゃくし菜の油炒め・手前味噌を小麦粉で練るようにこねる。
 フライパンに油を引いて種を丸くなるように広げるとジャーっという音が立ち、いい香りが立ち上がる。じっくり焼いてひっくり返す。いい焼き色だ。
 
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 お昼はごちそうだった。焼きたてのやきもち、こんにゃくの煮物、白菜古漬けの油炒め、しゃくし菜の油炒め、かやくご飯がズラリと並んだ。「こんなもんだけど食べてくんない」という言葉に誘われるように箸が伸びる。こんなごちそうは本当に嬉しい。
 食べながらも傳次さんの話が続く。NHKテレビの釣瓶の家族に乾杯という番組で、津川雅彦が突然訪ねて来た時の話だ。その時の写真とサインが玄関の上に掲げられている。「うちの家宝だぃねぇ」と笑顔がはずむ。
 93歳まで車を運転できる免許の更新が出来そうだと書類を見せてくれた。普通に話していたが、考えてみるとすごいことだ。こんな元気な91歳は見た事がない。ご夫婦二人とも元気で何の不自由もなく生活できている。すばらしいご夫婦だった。
 
 
 
 
 

2018年3月28日 (水)

椿山荘ー神田川の花見

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 3月27日、椿山荘で花見ランチをして、神田川沿いの満開の桜を楽しんだ。カミさんの誕生日ということで、少し違う雰囲気で花見をしようと花見ランチ。寿司ランチは量が少なくて良かった。庭園の桜を見ながら食べる「花見ランチ」はグーグル検索で予約したもの。便利な時代になったものだ。
 
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 ランチの前に庭園を散策したが、都会の真ん中にあれだけのスペースの緑があることに驚かされた。多くは植栽された緑だが、中にはもともとの植生も見えて楽しかった。ケヤキやクスノキ、クヌギやコナラ、シラカシ、アカマツ、ムクノキなどの巨木が天高く育っている様は見事だった。紅葉や新緑用に作られた植生は仕方ないが、見方によっては見事なものだと思う。
 
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 様々な木が芽を出し始めていた。新芽の出る頃を春紅葉という。木によって芽の色が違うのが分かる時期だけの楽しみ方だ。秩父などの山々に行くと一週間くらいだけ見られる春の楽しみの一つだ。
 コナラやクヌギが白く膨らみ、カツラやネムノキは赤い芽を出す。一週間もすると全部新緑の緑に変わる。椿山荘の広葉樹はちょうど春紅葉の時期だった。桜の花と同様、今年は春紅葉も早い。あっという間に新緑になってしまいそうだ。
 
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 ランチを終えて、係の人から教えてもらった神田川沿いの桜を見に行った。椿山荘の庭園から外に出ると、そこは桜満開の神田川だった。人も少なく、見事な桜を満喫出来た。穴場の花見場所かもしれない。
 神田川沿いに桜を観賞しながら江戸川橋駅方面に歩く。江戸川公園に入ると大勢の人が花見を楽しんでいて、一気に宴会ムードになった。公園の奥には人がいなかったのに、公園内はシートを敷いて宴会の人々がいっぱい。これはこれで花見感満載でいいものだ。それにしても川沿いの桜はいい。水と桜の花はよく似合う。
 
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2018年3月26日 (月)

アジの干物・花見・テニス

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 土曜日、秩父から帰ったらJICKYさんから大きなアジが14匹とイシモチが一匹届いた。丸々したアジをどう食べようかと相談したら干物にすればいいと教えてもらったのでやってみた。
 アジ4尾、イシモチ1尾は刺身となめろうで酒の肴になった。(さばくのに夢中で写真なし)残りのアジを開いて漬け汁(水1リットル・塩80グラム・酒100cc・みりん20cc)に一時間半浸けて一旦出して乾かす。この時に竹串とビニールヒモを使ってハンガーにぶら下げた。専用の乾燥ネットがないのでハンガーを使ってやってみた。
 
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 日曜朝、天気が良いので朝からベランダに干す。ハンガーの周囲を農業用のネットで覆って烏よけにする。5時間干したら干物が出来上がった。さっそく焼いて、昼食は豪華なアジ干物定食風になった。ホクホクふわふわの身がじつに旨い干物だった。漬け汁の味も丁度良い具合に味がついていた。これなら人にあげても喜ばれそうだ。
 
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 午後はテニス。3時開始なので、少し早めに出かけて会場の小豆沢公園で花見としゃれこんだ。ソメイヨシノが満開でビールと唐揚げ棒を持って花の下で座り込む。野球をやっている音が響いている公園でゆっくり桜を見るのもいい。遠くから太鼓の練習をしている音が聞こえてきたり、子供たちのはしゃぐ声が聞こえたり、楽しい時間だった。
 
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 テニスの前にビールを飲んだので少し調子が狂ったが、快適な環境でのテニスは最高だった。寒くも暑くもない季節。ましてや満開の桜の中で走り回るのは楽しい。サーブも少しずつ良くなっているし、朝のジョギングのおかげで足も楽だった。4人で二時間というのは丁度良い時間かもしれない。写真は加藤さんと。
 
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2018年3月25日 (日)

絵を届けて防災学習センターへ

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 3月24日、小鹿野町・藤倉の根岸左喜子さん(86歳)に「こんにゃく」の絵とファイルを届けに行った。左喜子さんは絵をとても喜んでくれた。相変わらず台所で料理の下準備中だった。聞けばお彼岸で娘さんがやってくるのだという。ここで採れる野菜で作った料理が食べたいとリクエストがあるそうだ。
 
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 この日のお茶請けはお得意の手作りこんんやく、ピリ辛のきんぴら、コチュジャンで味付けた干し大根、フキノトウと麩の甘酢の4品。どれもお茶請けに最高の旨さだった。特にこんにゃくは絶品で、お土産にもいっぱい頂いた。本当にありがたいことだ。
 近くの酒井佐恵子さんに借りた本(甲源一刀流)を返しに行く。お茶を頂きながら山の畑の話や山神社の話で盛り上がる。
 
 午前中に時間があったので実家のお墓参りに行く、兄と二人でお墓を掃除してお線香を上げる。梅の花がいっぱい咲いているが桜はまだ芽が固い。ここで桜が満開になるのは4月中旬だという。その時には兄弟・従兄弟・子供たちが集まって花見の宴を催す。今年も参加出来ればいいのだが、まだ先の予定がわからない。
 
 昼前に実家を出る。今日は鴻巣の埼玉県防災学習センターに行かなければならない。先日県議会議員の岩崎さんと県防災部長の槍田(うつぎだ)さんから電話があり、面影画のパネル展をしたいという話だった。その会場が防災学習センターになるという事で現場を見ておかなければならなかった。
 140号から17号と幹線道路を走り、午後2時に到着した。3月21日にリニューアルオープンしたという建物はピカピカでとてもきれいだった。ここは地震体験や煙体験・消火体験・暴風体験などができる防災学習センターだ。書籍や資料も多く展示してあり、大人でも楽しめる。新しい展示は様々な工夫が施されており興味深いが、子供向けの内容なので大人には少し冗長に写る。ただ、県内のハザードマップが詳細に見られたのは良かった。タッチパネル式の展示は新鮮だった。
 
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 展示可能なスペースと方法を確認し、係の人に名刺を渡して防災学習センターを後にした。東日本大震災を忘れないために定期的に企画展を行っている。面影画パネル展もその一つとして企画したいとのこと。海無し県の埼玉だが、地震防災という観点から忘れてはいけない教訓だ。少しでも役に立てれば嬉しい。パネル展がいつになるのかはまだわからない。
 
 
 
 

2018年3月22日 (木)

三峰山ロープウェイをアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「三峰山ロープウェイ」をアップした。取材をして文章を書き、絵を描いてまとめるのだが、今回は書けなかった事が多かった。
 矢須唯雄さん(78歳)の話は理路整然としていて、過不足なく三峰山ロープウェイの話が引き出せた。あまりに多くの情報があると、それをどう選択して書くかが問題になる。限りあるスペースにどの話を書くのが一番良いかを悩む事になる。結果、どうしても正確な情報が優先され、情緒的な部分が削られる。
 
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 自宅での話を終えて、昔の駅があった場所まで歩いた。徒歩10分くらいの距離だった。唯雄さんは40年間この近い職場に通っていた。当然、賑やかだった大輪と一気にさびれてしまった大輪を見ている。見ているというよりは現場に住んでいる。
 想像するに、実感としてものすごく落ち込む状態だったのではないか。自分の職場の沈滞が地元の沈滞に重なっていた。地元だからと言ってしまえば当たり前の話だが、こういう経験をしている人は少ない。夢を持って就職し、順調に昇進し、最後は駅長にまでなった。しかし、世の中の流れは無常にも職場の廃止へと向かっている。そんな揺れ動く心象を文章にしたかったようにも思うが、当たり障りのない文章になってしまった。
 
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 こうしてふり返って見ると、思い出すのは炬燵で聞いた職場の話ではなくて、現場で聞いた話のあれこれだ。「ここに駅があってねえ…」から始まり、シャクナゲを植えたけど見に来る人がいない話。「表参道は昔はもっと急でジグザグでねえ…、そこを駕籠を担いで登ったんだよ」「あの正面の杉が途切れている直線が線路の跡だぃね、あんだけ木が伸びてちゃ引っかかっちゃうよね」「観光的にもロープウェイは残して欲しかったねえ…」
 
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 唯雄さんのおかげで三峰山ロープウェイがどんなものだったのかを知ることが出来た。その昔、一度だけ利用したことがあった。高校を卒業した年に雲取山登山に向かうときにロープウェイを利用した。朝早く一気に山頂に到達するそのスピードに驚かされたものだった。今でも充分に魅力ある観光資源だと思うし、設置されれば多くの観光客が利用するのではないだろうか。
 三峰山がパワースポットとして見直されている今、もしロープウェイがあったなら大きな魅力にもなるだろうに…などとつい思ってしまう。それは唯雄さんの最後のつぶやきに重なっている。大輪は奥秩父観光の光と影を背負っている。
 
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2018年3月15日 (木)

こんにゃくをアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「こんにゃく」をアップした。こんにゃく作りは人によって微妙に違うので、出来るだけ忠実に作り方を記録するようにした。名人の味のポイントはどこにあるのかを見極めないと取材の意味がない。
 
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 左喜子さんのこんにゃくは芯まで味が浸みるのが特徴だった。細かい穴が全体に空いている状態になっているということだ。作る前に聞いたところ、アクにソーダを使うのがポイントだと言われた。生芋をミキサーにかける時間もポイントだと言っていた。左喜子さんはミキサーを約2分間回すことにしている。茹でる時間もあまり長くしないようにしている。その見極めがポイントなのだと思う。
 食用石灰だけを使って、ミキサーに五分かけ、長い時間茹でると、ツルツルと固い売っているようなこんにゃくになるという。
 
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 そんな視点を持って始まった取材だったが、この取材で驚かされたのは左喜子さんの86歳とは思えない機敏な動きと段取りの良さだった。いつも3キロの生芋からこんにゃくを作っている左喜子さん。道具はその為だけに揃って準備されている。
 皮を剥くピーラーやナイフ、大きなボウル、大きな鉄瓶、大鍋、詰める箱型すべてが3キロの生芋の量に合わせてある。いつも同じだからいつも同じように出来上がる。旨いこんにゃくがいつでも出来る訳は専用の道具にもあるのではないかと思われた。
 
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 頂いてきたこんにゃく3丁を自宅で調理した。三角に切って水に晒し、塩をひとつまみ入れた水で煮立ててアクを抜き、左喜子さんが言う通りに酒とダシの素だけで煮てみた。
 ほんのり赤みのある柔らかいこんにゃく煮が出来上がった。細かい穴が多いのか中まで味が浸み込んで旨い煮物になった。こんにゃくだけで煮たのだが、他の野菜や練り物などと煮るともっと旨くなるだろうと思った。
 
 
 
 
 

2018年3月13日 (火)

甲源一刀流・逸見道場

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 3月12日、小鹿野町・両神・小沢口の甲源一刀流・逸見道場を見学した。伺った時にちょうど御当主のご母堂がいらして、道場と資料館を丁寧に案内して下さった。
 道場は「耀武館(ようぶかん)」といい、築二百年を経ても保存状態は良く、埼玉県の文化財(史跡)に指定されている。江戸時代に建てられた武道場がそのままの形で残っているのはここだけだ。剣道をやっていた身としては憧れの場所でもある。
 ご母堂に許可を頂いて中に入らせて頂く。「耀武館」の扁額を前に正座してじっと耳を澄ませると、はるか昔にここで汗を流して剣を鍛錬していた若者の息遣いが聞こえるようだった。身が引き締まる時間でもあった。
 
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 正面の柱、ちょうど人間の首の高さがえぐれている。突きを秘剣とする奥義があり、その鍛錬のためかと推測される。高い天井にどれだけの声が反響していたのか、想像するに余りある。欄間に長刀・槍・棒などの武具が掛けられている。上段の間には木刀を掛ける棚がある。すべて実際に稽古で使われたものだ。
 江戸時代から延々と伝えられる剣の技。目で見ても多分奥義はわからない。しかし、この場所で鍛錬されていたことは間違いない。その空気を吸えただけでも心が引き締まる。
 
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 ご母堂は資料館も案内してくれた。別棟の資料館は二十畳くらいの広さで、ガラスケースには各種の古文書や写真、木刀などの現物が展示してあった。明治時代、靖国神社に奉納した額の下書きが大きく掲げられている。門弟3000人の名前が書き込まれた巨大な額だ。大八車に乗せて門弟が大勢で靖国神社まで運んだという。龍の彫り物も素晴らしいものだった。こうした奉納額は全国各地の神社に広く残っている。いかに多くの門人がいたかという事がわかる。
 
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 この家に輿入れした妻女の乗った女駕籠が展示されている。遠く群馬からの輿入れだったそうな。写真の妻女は婚礼衣装の胸に懐剣を差している。時代を感じさせる写真だった。
 ほかにも珍しい品々がたくさんあって目を奪われた。これだけの歴史が、生まれた場所のすぐ隣にあったのかと思うと嘆息するしかなかった。
 ご当主の父上が書いた本が二冊あった。「甲斐源氏・甲源一刀流逸見家」および「続編」の二冊を購入した。じっくり読んで、郷土の歴史を勉強したい。
 
 
 
 

2018年3月12日 (月)

三峰山ロープウェイの取材

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 3月12日、暖かく大量の花粉が飛んで、山も霞むような日だった。大滝の大輪に三峰山ロープウェイの取材に行った。取材したのは矢須唯雄さん(78歳)で、すでになくなったロープウェイの話をいろいろ聞かせてもらった。唯雄さんは18歳で秩父電鉄に入社以来40年間、三峰山ロープウェイの駅で勤務し、最後は駅長を務めて退職した人だった。
 ロープウェイ一筋に働いて来た人生だったが、様々な職業を習得するくらい様々な仕事に追われたそうだ。器機の点検・保守はもちろんのこと、ワイヤーの切り詰め。接合、鉄塔の保守・管理、急斜面の線路に伸びる木々の伐採などなど、外部の応援無く全て内部でやらなければならない独立した職場だった。
 
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 三峯講中が盛んだったころは、200人も300人も講中で参拝に来る人々がいた。21人定員の時代は二時間待ち三時間待ちという事態になった。酒を飲んで暴れる人が出たり、割り込む人が出たり、人数をごまかす講中があったりと接客も大変だった。
 三峯神社への物資搬入も大きな仕事だった。酒やビール、時にはセメントや鉄骨などもロープウェイで運んだので、積み下ろし作業も駅員の仕事だった。空き樽や空き瓶も運ぶというなんとも忙しい職場だった。全部駅員がやった。
 
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 埼玉国体の開催を機に二瀬ダムの堤上を通って三峰観光道路の建設が進んだ。ロープウェイの親会社、秩父鉄道も6億円も出資した大事業だった。昭和42年三峰観光道路完成で一気にロープウェイ利用者が激減した。ピーク時に年間34万8千人運んだのが、いきなり7万8千人と五分の一に減ったのだから、秩父鉄道は大誤算だった。その後も利用者は減る一方となり、平成19年12月1日に廃止となった。唯雄さんが退職して7年後の事だった。
 
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 大輪から表参道を少し登ったところにロープウェイ駅の残滓がある。基礎のコンクリートの上からはるか上空の三峰山方向を見やると一筋の線が見える。そこだけ杉林が途切れてまっすぐの道になっている。ロープウェイの線路跡だ。唯雄さんとその急斜面を見上げながらいろいろな話をした。伐採の話、宿直の時に大イワナを釣った話、旧い表参道の話、山駕籠で客をかついで登った話などなど。
 唯雄さんが最後にぽつりと言った「ロープウェイは残しておいて欲しかったなあ…」という言葉が耳に残った。
 
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2018年3月 5日 (月)

絵を届けて、甲源一刀流

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 3月3日、「えびし」の絵を届けに行った。絵を届けたのは酒井佐恵子さん(76歳)で、佐恵子さんは絵をとても喜んでくれた。お茶と様々なお茶請けを頂きながら、話が弾んだ。
 今回も先祖の話が多かった。そのうちに佐恵子さんが奥から本を出してきた。タイトルは「甲源一刀流」、著者は酒井塩太とある。著者は佐恵子さんの親戚の方で、自らも甲源一刀流の師範だった方。昭和52年1月の発行で、非売品となっている。
 
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 甲源一刀流は秩父で発生した剣の流派として誰もが知っている流派だ。両神の小沢口に道場があり、逸見道場と呼ばれていた。多い時には3千人の門人がいたという。本には甲源一刀流の由来から歴史、奥義、師範人名録などなど、江戸時代から昭和までの記録が詳細に収められていた。
 また、甲源一刀流の奥義である「型」が写真に収められているのが珍しく、貴重なものだった。秩父在住の剣士人名録は一人一人の剣歴が詳細に記録されていて、それを読むだけで当時の雰囲気が伝わってくる。
 
 中学と高校で剣道部に入って剣道をやっていた身として「甲源一刀流」がどのような剣だったのかとても興味があったので、佐恵子さんから借りて読むことにした。
 三田川中学時代、両神中学との対抗戦で戦った相手が甲源一刀流の道場で習っている生徒だった。背は小さかったのだが、対面した圧力がものすごく、試合は何も出来ずに負けた。手も足も出なかったというのが正しい。それ以来、甲源一刀流という言葉に畏敬の念を持っていたので、この本を隅から隅まで読んでみようと思った。
 
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 本を借りて家に帰ってじっくりと読んでいる。自分の知らなかった「秩父」がまたひとつ発掘されたような気がする。本当にこの歳まで何も知らなかったのだなあと実感している。
 暖かくなって部屋のコチョウランがきれいに咲いた。毎年花を咲かせて目を楽しませてくれる、ありがたい存在だ。
 
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2018年3月 4日 (日)

手作りこんにゃくの取材

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 3月3日、小鹿野の倉尾地区・馬上(もうえ)に手作りこんにゃくの取材に行った。取材したのは根岸左喜子さん(86歳)だった。春のような暖かい日で、約束の時間に伺うと玄関先で満開の福寿草が迎えてくれた。
 左喜子さんとは「くだげえ」の取材で同席し、その時に持参してくれたこんにゃくの煮物がとても美味しかったので、その場で取材交渉してこの日の取材が実現した次第。
 こんにゃく作りは慣れた作業だということで、生芋の皮を剥くところから取材が始まったのだが、その手際の良さに驚かされた。
 
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 皮を剥いた芋を1センチ角のサイの目に切る。三個の生芋で三キロになるという。これをお湯と一緒にミキサーにかける。粒が少し残る程度の粗さにするのがコツだという。大鍋に入ったこんにゃく液を大きなしゃもじでかき回す。火が入るとすぐに固くなる。
 固まったら火から鍋を下ろし、食用石灰とソーダで作ったアクを加える。この時、容器に残った白く沈殿したものは捨てる。液体だけを使うのがポイント。そして全体を素早くかき回す。アク合わせをするとすぐにこんにゃくは固まる。
 大鍋から木型に流し込み、両手で空気を抜くように押しつけながら表面を平らにならす。ここまでの作業がじつに手早かった。また、段取りが良く、流れるように作業が進むのが気持ち良かった。体の動きと道具の配置に無駄がなく、動作が流れるようだった。何度も何度もやっている作業だからこれだけ無駄の無い動きになっているのだろう。きびきびした動きはとても86歳には見えない確かで力強いものだった。
 
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 道具を片付けているうちに木型のこんにゃくが固まった。木型の目印に合わせて定規とナイフでこんにゃくに切り込みを入れる。三キロの生芋から十五丁のこんにゃくが出来る。ストーブの大鍋には湯が沸いていて、そこに切ったこんにゃくをひとつひとつ丁寧に入れる。このまま一時間茹でればこんにゃくの出来上がりだ。
 左喜子さんは大鍋の湯1リットルにソーダ80グラムを加えて別にアクを作る。これは、こんにゃくを袋詰めする際に一緒に充填するためのもの。このアクで袋詰めしたこんにゃくは長持ちする。冷蔵庫にはこうして作ったこんにゃくがいっぱい入っていた。
 
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 左喜子さんは料理上手で有名な人だった。この日もお茶請けにたくさんの料理が出され、どれも美味しかった。お昼だから「食べていきない…」とザルにいっぱいの手打ちうどんが出された。マシのほうれん草やクルミ、ネギ、ミカンの皮の薬味付きだ。煮物も旨かったし、うどんも旨かった。お腹いっぱいになって体重が3キロくらい太った気がした。
 料理やうどん、野菜などお土産をたくさん頂いて帰路についた。がんばって良い絵を描かなければならない。
 
 
 
 

2018年3月 1日 (木)

えびしをアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「えびし」をアップした。えびしは秩父の上吉田から倉尾にかけての地域で作られている郷土料理だ。以前から不思議だったのが、他の地域ではほとんどえびしらしきものの存在がないことだった。
 今回の取材で、日尾城(ひおじょう)の館群があった場所とえびしが作られている地区が重なることに気が付いた。兵糧が形を変えて民間に伝承されたのではないかと思った。
 
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 日尾城は私が生まれた家の裏山だった。秩父札所三十一番観音院の奥山にあり、断崖絶壁を要する山城だ。子どもの頃、よく遊びに行った場所だった。牛首峠を登ると頂上には幅二メートルほどの切り通しがあり、異様な場所だった。曲輪や館跡は岩山の突端にあった。すでに崩れかけた石垣や土塁の跡に、ここがお城だった事を思わせた。
 日尾城の歴史をふり返ってみる。
 永禄年間(1558〜1570年)鉢形城の支城として、鉢形北条氏の筆頭家老、諏訪部定勝の居城となった。志賀坂峠や土坂峠から攻め入ってくる武田信玄の軍勢に対抗するための城だった。永禄12年(1569年)武田信玄の武将・山県昌景の攻撃を受けたが泥酔していた定勝の替わりに奥方が軍配を振ったと言われている。その場所が三山の軍平(いくさだいら)の地名で今も残っている。
 秩父風土記によれば北条の軍勢三千人が武田軍に対峙したという。戦いには勝ったが、出浦式部の抜け駆けがあり、式部は北条家を追放され、両神の薄(すすき)に住むようになったと書かれている。定勝の死後は息子の定吉が継いだが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で廃城となった。
 
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 山城は戦時の砦であり、平時には城を下りて普通に暮らしていた。その場所が馬上(もうえ)であり、根古屋だった。侍達は根古屋の馬場で馬を鍛え、武術を磨いた。その暮らしの中から兵糧の作り方が伝わったのではないか。しかし、えびしの材料はとても高価なものだった。そこで、婚礼の豪儀なひと品として残ったのではないか。
 自分の生まれた家の山裏にこんな場所があり、こんな料理があった。今まで知らずにいて、この歳になって初めて知るという情けなさ。何も知らずに生きて来たんだなあ…という実感がしみじみと湧いてきた取材だった。
 
 
 
 

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