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2016年6月

2016年6月25日 (土)

煮豆の取材

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 昨年の12月から繰り越しになっていた「煮豆」の取材を24日にすることが出来た。
 取材したのは秩父市の大島喜美代さん(88歳)で、昔話をたっぷり聞くことが出来た楽しい取材だった。
 喜美代さんは農家に嫁いで大変な思いをしながら三人の子どもを育て上げた。今は同じ歳のご主人と二人暮らしだ。88歳同士の二人暮らしというのは、考えてみるとすごい事で、その達者振りに驚かされた。
 今でも自宅前の畑で大豆や野菜を作って自給している。大豆は煮豆にするだけでなく、味噌を作って知り合いに配ったりして喜ばれている。
 
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 煮豆作りで台所に入らせて頂いたのだが、そのきれいに片付いたキッチンに驚き、IHヒーターをテキパキと操るその手際に驚き、料理作りの速さに驚かされた。
 とにかく88歳には見えないその元気さ。話も理路整然としているし、質問にも全部答えてくれるその明晰さにビックリしてしまった。
 家の内外もきちんと整理整頓されているし、何より畑が手入れされていてきれいだった。こんな高齢者がいるのだから、自分も頑張らなくてはと思わされた。
 
 煮豆は昨日から水に浸してふやかした豆を煮てくれた。もちろん、自分で収穫した大豆だ。本来なら弱火でことこと煮るのが良いのだが、時間の少ない私の取材用に早煮にしてくれた。
 大豆だけを早煮しての味付け。これが豪快で、「おお、すごい」と思ったのだが、「味見してみな…」と出された豆を食べて、その旨さにびっくり。
 全体を混ぜるのはきゃらぶきと同じで、杓子は使わず両手で鍋を振って混ぜる。こういう点はしっかり繊細な心使いをしている。
 
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 出来上がった煮豆を器一杯頂き、大豆を頂き、きゃらぶきも頂いた。
 楽しい話の余韻もあって、心が豊かになるような帰路のドライブだった。がんばって良い絵を描かなければならない。
 
 
 
 

絵を届ける

 
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 24日、花名人の絵を届けに小鹿野町両神に行った。
 約束の時間より少し早く着いたので、ゆっくり走っていたら、思いもしない所で警察のスピード検問をやっていた。いつものスピードだったら捕まっていた場所だった。余裕を持って行動していて助かった。それにしてもあの下り坂直線で検問とは……ずるい。
 
 神林さんに絵を見せるとはにかみながら喜んでくれた。「写真より絵がいいよね…」とありがたい言葉。奥さんも一緒にいろいろ話す。この周辺にもサルが出るようになったという話から、ダリア園の害獣対策の話へ。本当にいろいろ大変な事があるもので、考えさせられた。
 
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 神林さんが秩父の良さについて話してくれたことは、とても共感するものだった。山や谷を越えたところに思いがけない場所や集落があること。信仰の道はその変化を楽しみながら歩く道だったことなどなど。楽しい時間だった。
 後の約束があったので短い時間しか話せなかったが、再訪を約束して辞去した。
 
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 実家の兄の家に頼まれていた本を届けた。7年間手をかけた畑は、しっかりと兄が引き継いでくれていて、キュウリやナスやピーマン、キャベツなどが実っていた。
 タチアオイの花やザクロの花が咲いていてきれいだった。小雨の中の大石山は半分雲に隠れていた。この畑にくると心が落ち着く。
 
 さて、これから秩父市内へ「煮豆」の取材に行かなくては…。
 
 
 
 

2016年6月22日 (水)

花名人をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「花名人」をアップした。
 今回取材した神林清一さん(72歳)は小鹿野町両神のダリア園の会長で、栽培ノウハウや管理方法などを指導している方だった。ダリア園の隆盛はひとえに清一さんの知識・技術に負うところが大きい。
 
 自他共に認める花名人の原点が桜草にあることを知り、その詳細を取材した。花の名前や歴史、栽培方法から鑑賞法まで。ひとつの文化とも言えるその内容は、とても書き尽くせるものではなく、上辺だけをまとめるのが精一杯だった。
 「道楽だからねぇ…」と謙遜する清一さんだったが、道楽だからこそ徹底して栽培方法を追求できる。その真摯な姿勢が、そのままダリア園の運営に生かされている。
 
 桜草の栽培方法が確立されたのは江戸時代のことだった。武士の文化を色濃く残す栽培方法や鑑賞法は他の花々にはない様式を確立した。
 清一さんが桜草に惹かれたのもその日本的な情緒だったという。西洋花が隆盛を極める中、日本の花が放つ情緒はやはり魅力があるという。日本人の心をくすぐる何かが桜草にはあるのだと江戸時代の版木本を見ながら話してくれた。江戸時代に開発された品種は数百種類に及ぶそうだが、現在は千数百種類の桜草が登録されているとのこと。
 新しい品種を作るのではなく、清一さんは栽培を通して江戸時代の原種に近いものを再現したいのだという。今栽培しているものは全て、江戸時代からの品種を守り育てている。
 
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 自宅で400種類・1200鉢の桜草を栽培している。これを毎年植え替えて花を咲かせる。とてつもない作業だが、花が咲いたときに全てが報われるという。桜草という花を深く知ることが趣味の人生だったが、ダリアという花が人生を変えた。
 今は年間の8割がダリア園関係で、桜草に費やせる時間は2割だと笑う。清一さんの知識と技術に町が依存している。
 個人が町を引っ張っている。すごい人だと思った。
 
 
 
 
 

2016年6月14日 (火)

最上の釣り

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 朝4時に目が覚め、すぐに着替えてチェックアウト。車を走らせ、セブンで釣り券と昼飯を買う。雨が降り出した最上白川に期待を高めながら奥に車を走らせる。
 堰堤で車を停め、兄はここで入渓。私は下流に歩いてから入渓した。杉林の中、足元からヤマドリの雌が走り出すのにビックリし、巣のありそうな場所を迂回して川に向かう。
 
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 最上白川は前に来た時の半分くらいの水量で普通の川になっていた。テンカラ的にはこの方が釣りやすいし、シトシト雨も降っている。これはいい感じで釣りが出来そうだ、……とこの時は思ったのだが、甘くなかった。
 魚の気配がまったくない。足元から走る魚もいないし、毛鉤への反応もまったくない。少々焦りを感じて正面の山を見上げると、杉林の伐採現場が延々と続いている。今日は雨だし早朝だから静かだが、晴れた日中はけたたましい音に覆われていそうな場所だった。ユンボやハーベスターの黄色や青色が山の中にふさわしくない毒々しい色として目に飛び込んできた。
「このせいかもしれない…」と思いながらも丁寧にポイントを攻める。しかし、まったく反応がない。
 兄のいる第一の堰堤が見えて来た時だった。小さな当たりを逃さずイワナを釣った。これでボウズがなくなったとホッとしながら白川のイワナを眺めて写真を撮った。結局、この一尾だけで兄と合流。釣果を報告すると笑いながら「俺も一匹だよ」と言う。この堰堤でそうなのでは先が思いやられる。
 ここからは淵を飛ばすという事で私が先行する。魚の気配がまったくない川で竿を振りながら「次こそは、次こそは…」と思うのだが気分は盛り上がらない。雨が土砂降りになってきて毛鉤が見えないほどになってしまった。
 
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 その後気がついたら釣れていたイワナが一尾。それだけで午前中半日の白川が終わった。第3の堰堤まで相当な距離を探ったが結果は出なかった。堰堤の高巻きでつまずき、転び掛けたのをきっかけに脱渓した。こんなところで怪我をしたら大変なことになる。
 途中で釣りをしていた兄に声をかけて脱渓を伝える。雨はますます降り続いて合羽の中まで濡れてきた。車に戻って着替えてやっと人心地。兄も戻って来て着替える。話を聞くと兄も同じで一尾の追加だけだったようだ。「それにしても魚の気配がなかった…」という感想もまったく同じだった。他の川に回る気力も無く、そのまま帰路に着いた。
 
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 中山平温泉、鳴子温泉を通り抜け、古川インターに着いたのが12時。東北道から北関東道を走って秩父の兄の家に着いたのが5時半。秩父から慣れた道を走って自宅に帰ったのが7時半。全走行距離1733キロの釣り旅が終わった。
 一度でいいからやって見たかった兄との東北釣り行脚、やっと実現した釣り旅だったが、結果は渇水で最悪の結果に……。でも、まあ兄が喜んでくれたので良かった。当分の間、話の種になりそうな濃い旅だった。
 
 
 
 

再会の森整備

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 12日、クリオンで朝食を食べ、9時までに小波内の再会の森に集合した。開場には小波内集落の人たちが大勢集まっていた。高橋さんの挨拶で始まったのは森の草刈りと周辺道路の草刈り作業だった。
 この再会の森は、瀬音の森が手伝った最初の森林ボランティア作業で植樹した場所。平成16年と標識に書いてあったので、もう13年前のことになる。猫さんや土筆さん、澤ジュリーや岡田さんも参加した懐かしい会場だ。
 石ばかりの建築残土を平らにしてブナ・ヤマザクラ・ヤマモミジなどを植えた。13年間、地元のご協力で整備して頂き、今は立派な林になった。往時を思うと隔世の感がある。
 
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 作業は集落の人たちのテキパキした作業ですぐに始まり、10数台の草刈り機のエンジン音が山裾に響き渡った。背丈ほどにも伸びた雑草があっという間に刈られ、本来の林が見えて来た。10数年間伸びた下枝を枝打ちすると見通しの良い林になった。汗だくで草刈り機で草を刈る。兄と一台の草刈り機を交代で使いながら頑張った。
 昼前に全ての作業が終わった。瀬音の森メンバーがやった排水溝の清掃が一番大変な作業だったようでみんな疲れ切っていた。
 
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 林の日影にブルーシートを敷き、昼食の準備。女性二名が味噌汁を軽トラで運んできた。高橋さんがお弁当を運んできた。挨拶があって、昼食の始まり。車を運転しない人には缶ビールが振る舞われた。運転する人はノンアルコールビールが回ってきた。
 お弁当も旨かったが、回ってくる漬物がみんな旨かった。西木の漬物は種類も多く味も良い。土が豊かで野菜の味が良いためだと思うのだが、本当に何を食べても旨かった。
 食べながら話す地元の人たちとの会話も楽しかった。
 
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 イベントが終わり、再会を約束してここで解散し、それぞれの方向に別れた。私は兄と今夜の宿泊地である新庄市の瀬見温泉を目指して車を走らせた。
 途中、道を間違えたりしながら走り、秋田・山形の県境周辺の景色を楽しんだ。新庄に着いたのが3時半。瀬見温泉を通り抜け、鮎梁のドライブインを見学。そして明日の釣り舞台となる最上白川を見に行った。
 川の水が少なくてビックリし、明日の釣りを心配したが、橋の上から見る川には魚影がユラユラしている。夕方の川面にライズする魚を見て、安心して宿にチェックインした。
 
 
 
 

秋田の釣り二日目

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 11日、朝からうだるような暑さ。天気予報は32度になると言っている。雲一つ無いピーカンで、はなはだ釣り向きではない天気予報だ。みんな阿仁方面に行くというので一緒にクリオンを出発する。
 今日はイナさんがいつも行っている大堰堤のある川に兄を連れて行く。白瀧さんが同行する。約一時間走ってマタギ館に到着。釣り券1500円なりを買う。入渓点に着くと車が停まっている。先行者だ。川を眺めていると先行者が二人帰ってきた。話を聞くと小さいのしか釣れなかったとのこと。ここでも渇水を嘆く声が聞こえた。
 
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 ここでイナさん、加藤さんと別れて三人で川に入る。昼までの3時間なので、兄は大堰堤まで、私と白瀧さんは橋の上流に入ることにした。水量の多い川で徒渉が大変だった。渇水していてこれなのだから、平水だったら釣りにならない感じだ。
 立て続けにイワナが3尾釣れて気分良く遡行していたら、荒瀬で足を滑らせ半チンしてしまった。上半身ずぶ濡れになり、カメラがダメになった。すぐに電池を出してカメラをリュックにぶら下げて乾かす。濡れた服はそのままで釣りを続ける。天気が良いのですぐに乾くだろうと思った。しばらくすると濡れた服が乾く気化熱で涼しくなり気持ち良かった。
 しかし魚が出ない。白瀧さんが先行するのだがまったく釣れないようだ。
 
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 通らずを高巻く道がわからず草つきをよじ登って林道に出た。もう一度この斜面を下るのもためらったので、そのまま脱渓した。林道を歩いて車に戻る。秋田蕗の大きな葉っぱを傘がわりにしたりして写真を撮ってもらった。
 車の中にカメラを置いて乾燥させる。やはりカメラは動かない。という訳でこれ以降の写真がない。昼に合流しようという事だったので三人で道の駅を目指して走る。
 
 道の駅にはハミさん、杉山さん、ひらり〜さんがすでに到着して休んでいた。聞くと釣りに入ったが釣れなかったとのこと。この晴天と渇水はやはり大敵だった。昼を食べているうちに加藤さんとイナさんが帰って来た。こちらはそこそこ釣れたそうで、みんなで情報を交換する。結局午後もバラバラに入渓することになり、私は気になっていた途中の某川に行くことにした。
 みんなと別れて某川に行き入渓点を探すがなかなか見つからない。藪が濃いのでためらうのと、車を停める場所がない。やっと車を停める場所があったのでそこに車を停めた。見るとすぐ川に下りる道があったので助かった。
 身支度をして入渓し竿を出してすぐにイワナが釣れた。幸先がよいので白瀧さんに先行してもらう。しかし後が続かない。しばらくアタリがなかったが、ある地点から白瀧さんの竿が踊った。立て続けに3尾のイワナが竿を絞ったのだ。これには本人もビックリ。「ちょうど集中力を無くしかけてたところだったんですよ…」とのこと。ともかく良かった。
 
 上流に淵らしき場所が見えたので餌釣りの兄に先行してもらう。狙い通りイワナが釣れたので大満足。その上流で今度は私の竿にイワナが出た。みんなが釣れて大満足。
 白瀧さんの後を追いながら気になった木のしたのポイントに毛鉤を打つ。ギラリと反転した魚の影に竿を合わせるとびくともしない魚体。糸なりをさせて淵を左右に泳ぎ回る。上空の木をよけながら下流に誘導してやっと取り込んだのは27センチの丸々太ったヤマメだった。
 カメラがないので写真が撮れない。これは持ち帰って塩焼きにしようと、その場で絞めた。
 
 結局7尾のイワナとヤマメが釣れて午前中と合わせてツ抜けが出来た。予想外に良かったのは渓相だった。カツラやブナの大木が両岸に立ち並び、瀬の多い流れはテンカラ向きで最高の川だった。魚も多いし、この川なら叉来たいと思わせてくれた川だった。
 脱渓も楽だったが、狭い国道を歩くのが少し怖かった。車に戻って着替えてクリオンに向かう。車の中で干しておいたカメラに電池を挿入したところ、正常に動いて復活した。こんな事もあるのか驚きながら、これでまた記録できると嬉しかった。
 クリオンでお風呂に入り、すぐに宴会というか反省会。それぞれが今日の釣りについて話し合う。渇水の影響は大きくみんな釣果は悪かった。
 
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 飲んで食べている時に布谷さんの奥さんが来場。大量の差し入れ料理を運んでこられた。その量と種類にびっくり。食べてその旨さにビックリ。満腹になるまで食べて食べて飲みまくった。食べ切れなかった分は部屋に持ち帰り、夜食や朝食になった。本当にごちそうさまでした。
 
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西木の釣り

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 10日、西木で釣りをした。9日の午後に家を出て秩父に向かい、兄を乗せて本庄から高崎経由で東北道に出た。そのまま北上し、紫波SAに着いたのが午後の9時。そのまま車で寝て朝4時に出発。西木に着いたのは朝6時。小波内の門脇鮮魚店で釣り券を買い、上流の川を目指した。今回は兄と同行で兄が餌釣りなので下の堰堤から入る。
 
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 堰堤で粘ってやっとイワナが出た。本来ならここはいくらでも釣れる場所なのだが、渇水と底が浅くなった堰堤にはポイントがなくなっていた。魚の気配もない場所に変貌していた。ここでイワナが兄に出たのでホッとした。
 その上流で竿を振るも魚の気配はない。空が晴れてピーカンになってきた。これはもしかしてダメなパターンかと焦り始めた。ずっと先行したのだがアタリはない。おまけに後ろで兄がぽつぽつと釣るのだから焦りはますます高まる。
 
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 小さい流れ込みでやっと小さいイワナが釣れた。これでボウズを免れてホッとした。いつも入っている橋の下でいい型のイワナが釣れた。ここから良くなるはずだったのだが、そんなに甘くなかった。中間の堰堤下でいきなりイワナとヤマメが立て続けに釣れた。これは気持ち良かった。
 
 堰堤の上流はまた単調な川。渇水のためか魚の気配がない。そのまま遡行し、最後の堰堤近くなってやっと魚が出た。今回は釣れるポイントが限られていて、この川にしては珍しいことだった。そして最後の堰堤。兄が中央で餌釣り、私は左の隅で毛鉤を振る。
 ここで大きな当たりがあった。ガツンと手元に圧力が伝わる。思わず竿を合わせたのだが、上に木の枝があり、それに当たってあわせが効かなかった。痛恨のバラシ……、逃がした魚は大きかった。
 
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 堰堤の上に人影が見えた。見えたのはイナさんと加藤さん。ここで脱渓して国道まで送ってもらった。釣り支度を脱いで、そのままクリオンに向かった。結局7尾の釣果。兄は10くらい釣ったそうだ。全部リリースしたのでまた次回のたのしみにしたい。
 クリオンではハミさんと杉山さん、ひらり〜さんが待っていた。釣りはしなかったらしい。お風呂に入ってくつろぎ、6時にレストランに行くと高橋さんが待っていて、宴会が始まった。すぐに沢山さんや布谷さんがやって来た。阿部さんもやってきてにぎやかな宴会になった。お酒が次々に出され、飲んで食べての楽しい時間になった。
 
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2016年6月 5日 (日)

花名人の取材

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 6月4日、小鹿野町の両神に花名人の取材に行った。取材したのはダリア園の会長をしている神林清一さん(72歳)だった。5月4日に桜草の取材をしており、今回は二度目の取材だった。花名人の原点である桜草の話を聞き、実際の栽培方法を見せて頂いた。
 40年前から桜草を栽培しはじめた清一さん。現在は400種類・1200鉢の桜草を栽培している。秩父さくらそう会のリーダー的存在で、全国のさくらそう会と連携している。
 
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 その種類の多さに圧倒されるが、その歴史にも驚かされた。桜草は埼玉県の県花であり、その姿形は知っていたが、歴史はまったく知らなかった。
 江戸時代の武士階級からその栽培と鑑賞法が伝えられてきた。五段の花壇を作り、花色を変えながら見栄え良く千鳥に33種類から43種類の鉢植えを飾る。その品評会は投票式で、さながら短歌や俳句の会のような様子だった。花の名前に風流な名前が多いのも武士階級の見識を思わせるものがある。
 見せて頂いたファイルには60ページに及ぶ品種名一覧があった。一ページに30品目は書いてあるので全部で1800種類ということになる。これだけの種類を同定する作業も大変なものだが、それをやる人がいてはじめて会の運営が成り立つ。趣味の世界とは言え、とんでもなく深い世界だ。
 その栽培方法や管理方法の話を聞きながら「本当に好きでなければとても出来ない事だなあ…」と呆然としてしまった。
 
 趣味の世界はどこまでも深い。清一さんは江戸時代の写本の原本を何冊も持っている。版木で擂った版木本だ。江戸時代の花の栽培方法や種類。江戸の四季の花々、四季行楽図などなどが目の前に出てきてびっくりしてしまった。これだけの資料…、集めるのにいったいいくらかかったのか?……聞きたかったがとても聞けなかった。
 
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 今、年間の約7割がダリア園関係の仕事で、約3割が趣味の桜草の作業だそうな。町の観光事業としてのダリア園も清一さんのノウハウなしでは成り立たない。
 ダリア球根の販売をしているが、栽培方法の問い合わせなどは全部清一さんが電話で受けている。町の事業といいながら個人に依存する割合がとても多い事業だ。その点を聞くと「まあ、好きでやってることだしね…」と笑う。この人の知識と技術に町が依存している。
 「本当だったら、桜草に囲まれた優雅な年金人生になったはずなんですけどねえ…」と奥さんもため息まじりにつぶやいていた。
 
 
 
 
 

絵を届けに行く

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 6月4日、東秩父村の萩平に竹縄の絵を届けに行った。
 前回と同じ集落会館で若林さんと梅澤さんにお出で頂き、絵を見て頂いた。お二人は絵をとても喜んでくれ、是非このファイルを中学生の学習用として使いたいと言われた。もちろん快諾し、その講習に参加させて頂くことにした。今年の11月、自分で竹縄を作れることになった。どれほど難しいものかをこの身をもって確かめたい。
 
 竹縄の歴史や数々の疑問などをお二人に伺ったのだが、昔の事なのでなかなかハッキリした事はわからない。最大の疑問だった「何故この地区でだけ竹縄が作られていたのか?」の答えは出なかった。川越・東京に近い地の利だったか、竹縄の元締めが生産管理していたのではないかとか、いろいろ話は出たが確実なものではなかった。
 
 この萩平は「萩平の獅子舞」が有名だ。この会館で練習することが多いという。後継者不足はどこの郷土芸能も同じで、なかなか完全な形で上演することができないという。笛の数も演者の数も減っている。5月の上演で、若林さんはひょっとこを演じ、梅澤さんは笛を奏していたという。「いつまで出来るかねえ…」という若林さんの言葉が印象的だった。
 
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 梅澤さんがダッチオーブンで焼いたジャガイモを食べながらいろいろ話した。最後に「記念に竹縄を一本やるよ」と貴重な竹縄を頂戴した。「中学生が作ったやつなんで不揃いだけどね」と出された竹縄の輪を持って帰路に着いた。
 11月には自分なりに納得できる竹縄を是非作りたいものだと思う。細く強靱でつややかな竹縄を自分の手で作り上げたいという重いがムクムクとわき上がった。
 
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2016年6月 2日 (木)

竹縄(たかなわ)をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「竹縄」をアップした。
 竹縄はたかなわと読むことも知らなかったし、東秩父村でだけ作られていた事も知らなかった。まして、今でも作れる人がいるなんて知りもしなかった。
 
 だいぶ前の事だが、秩父の小林茂先生のご自宅で本の資料整理をされている時に伺った事があった。その時に「これが竹縄を作っている写真だよ」と見せてもらい、驚いた事が忘れられない。当時でも珍しい写真だったはずだし、その時にはすでに技術は絶えてしまったと聞いた。今でも作っている人がいるとは思ってもいなかった。今回、小川町の高田さんのご協力で竹縄作りの取材が出来たのも不思議な事だった。
 
 竹縄作りの工程を詳細に記録した東秩父村教育委員会の資料と若林さん横澤さんの話から竹縄作りを絵にしてみた。およそこの通りに作られていたのだと思うが、実際にやってみないとわからない事が多い。機会があったら是非一回通して体験してみたいものだと思う。
 油抜きの焼き加減、へぎ作りの難しさ、節をウスバで削る力加減、よりをくれる機械の力加減、こすりの磨き加減などなど、様々な技が駆使されて製品としての竹縄が出来上がった。
 
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 しかし、わからない事も多い。なぜ東秩父村の限られた地域だけで竹縄が作られていたのか? 竹縄はどこまでどう運ばれたのか? 全国的な制作範囲はどうだったのか?
 すでに消えてしまった物や技術は多い。竹縄もそうなるはずだったが、東秩父村の努力と若林さんたち保存会の皆さんの努力でこうして残された。
 
 出来上がった竹縄を触ってみたとき、これは何か他の用途があるのではないか…、という考えが頭をよぎった。そのしなやかさと美しさはまるで工芸品のようでもあった。
 水に浸せば柔らかくなり、乾けば強度抜群の結束力を持つ。磨けば艶々に光る。何か出来そうなのだが、それが何かはまだわからない。とにかく一度竹縄作りを体験してみたい。
 
 
 
 

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