2017年4月26日 (水)

ACLグループリーグ突破

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 26日、サイスタでACLウエスタンシドニー戦を観戦した。この試合に勝てばグループリーグの突破が決まる大事な試合だ。予報が雨だったが、風が少し強いくらいで雨が降ることはなかった。平日の夜の試合だったが、一万九千人を越えるサポーターが集まって応援した。
 
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 試合はお互いに狭いスペースを使いあう展開で始まった。こういう展開ならレッズは負けない。相手コートでボールを回しゴールへと近づく。前半のうちに関根、ズラタン、李のゴールが決まり、圧勝ムードに。お祭り状態のスタジアムに寒さも吹き飛んだ。
 
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 ハーフタイムに持参したポットのお湯でウイスキーのお湯割りを作って飲む、体を芯から温めて後半に備える。後半は見ている側に攻めてくるレッズの選手がいっぱい見られて楽しかった。変なゴールを取られたのは予想外だったが、後半から入ったラファエル・シルバが二得点。最後に興梠が決めて六点目が入った。興梠のゴールはラファエル・シルバとのワンツーが見事にはまった芸術的で美しいゴールだった。こういうゴールが目の前で見られることは本当に幸せだ。
 
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 試合に勝って場内を一周する選手を見守る。拍手が途切れない。選手を讃える拍手はずっと続いている。そしてタオルマフラーを掲げてウィダィを歌う。至福の時間が過ぎていく。最高の試合だった。ミシャのサッカーは本当に面白い。
 さあ、これでACL決勝トーナメント進出が決まった。次の相手はどこになるかわからないが、どことやっても勝てる気がする。楽しみだ。
 
 
 
 

2017年4月24日 (月)

山口組の取材

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 24日、秩父の山口組を取材に行った。取材したのは常務の山口昭光さん(67歳)と須藤さん、黒沢さん、櫻井さんの四人だった。今回の取材は「秩父鉱山」の本が売り切れて、再版する際に増補改訂版として出したいという出版社の要請で行ったもの。新しく原稿を書くなら山口組について書きたいと思っていたので、同社役員の同級生に頼んで実現した取材だった。
 
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 山口組は創立当初から日窒鉱山の仕事をしていた。重機械の運搬、道路工事、橋工事、擁壁や堰堤工事などなど多くの仕事を請け負ってきた。事業が拡大されて秩父で本格的に土木事業を展開するに当たり、社長は秩父に出た。社長の弟が鉱山の仕事を一手に請け負う形になった。鉱山に残った弟が山口泰之さんで、今回取材した山口昭光さんの父親になる。
 
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 山口昭光さんから父親の話や子ども時代に通った鉱山の様子や組の様子を聞いた。また実際に鉱山で働いていた黒沢さんや櫻井さんに当時の様子を聞いた。仕事や遊びや生活のことなどなど。面白い話がいろいろ聞けた。
 また当時の写真などもたくさん見せてもらい、驚くような発見もあった。あまりに幅広い内容に、まとめる事ができるかどうかはなはだ疑問だが、頑張ってまとめたいと思う。
 
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 秩父はまさに今「山笑う季節」になっていた。新緑が山々を輝かせ、山桜の白い色が緑に浮かび、里にハナモモが咲き乱れる様子はまさに春真っ盛りといえる。一年で一番美しい季節なのだと思う。
 駅前の温泉が今日開業したという話もあるし、羊山公園の芝桜も満開に近いとのこと。しばらくの間、秩父はにぎやかな状態が続きそうだ。
 
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2017年4月21日 (金)

高遠の桜と松本城

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 19日と20日の二日間、信州に行ってきた。目的は満開の高遠の桜を見ること。高遠の桜はタカトオコヒガンザクラという固有種で、ソメイヨシノよりもピンク色の濃い桜だ。天下第一の桜と呼び声が高い桜で、今回は満開のタイミングで見ることができた。
 広い城址公園に1500本以上の桜が満開で咲く様は、まるでピンクの雲のようで素晴らしかった。大勢の花見客も思い思いにゴザを広げ、お弁当を食べながら楽しんでいた。絵のような花見の光景に、思わず缶ビールとたこ焼きを買ってしまった。
 
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 夕方まで高遠の桜を満喫し、茅野市内のビジネスホテルに宿泊。翌日は諏訪大社の上社本宮と前宮を参拝した。本宮の荘厳な雰囲気と御柱の見事さに気圧され、1200年のケヤキ巨木に圧倒された。日本中の諏訪神社の大本山ということを考えると、伊勢や出雲との歴史が見えて来る。この場所に意味があるとしたらそれは何なのか……ここを見たことで線がつながったような気がした。
 
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 前宮はとても良かった。里山に溶けこんだような神社の存在が原初の姿を現しているようでとても気分の良い神社だった。山から流れてくる小川がそのまま手水舎になっている。その小川が良かった。水音が清らかで、四方に建てられた御柱も清らかで、民家がすぐそばにある社。不思議な気がしたが、妙に落ち着く場所だった。
 
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 少し足を伸ばして松本城へ行く。桜とお城の対比を楽しんだ。松本城の黒い壁に真っ白な桜がよく似合い、花吹雪の舞う公園は多くの人でにぎわっていた。
 高遠も松本城も外国人観光客がいっぱいで、何だか落ち着かない雰囲気だった。桜が日本の代表的観光資源になっているというのは本当だったようだ。みな、スマホで写真を撮りまくっている。そのはしゃぎぶりが日本人と違って激しい。もう少し落ち着いて観賞してくれればと思うが、まあ、仕方ないことかもしれない。
 
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2017年4月18日 (火)

杖作りの取材

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 4月17日、秩父の両神に杖作りの取材に行った。取材したのは森越勝治さん(85歳)だった。勝治さんは17歳の時からずっと山仕事をしてきたのだが、最近体が不調になり、最後のご奉公だと言いながら杖作りをしている。
 杖は雑木の枝を使う。皮をナタで剥き、一日乾かして布ヤスリで真っ白に磨いて仕上げる。年に700本から1000本作り、小鹿野町の福祉課や観光地の杖が必要な場所に10本単位で納めている。軽く丈夫な杖は使い心地が良く、使った人が返さずに持ち帰ってしまうのが困ったことだとなげいている。
 
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 杖の材料を聞いたら「ぢしゃぐれ」とか「まめぶち」という木の名前が上がった。聞いた事のない名前なので、よくよく確認したら「ぢしゃぐれ」はアブラチャン、「まめぶち」はキブシのことだった。
 木の名前にも秩父方言があるのかと知った事がきっかけになり、様々な固有名詞を秩父なりの呼び名で聞きだしてみた。長く山仕事だけをやってきた勝治さんだからこそ、色々な名前が飛び出した。秩父方言の一部になるのだと思うが、子ども時代を思い出す名前の数々が飛び出して面白かった。
 
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 木の名前:サワグルミ→かわぐるみ フサザクラ→めめずのき ホオノキ→やまとの木・かざぐるまの木 ミズキ→みずくさ ネムノキ→めぶた サワシバ→その サルナシ→こくわぶどう ヌルデ→おっかど コウゾ→おっかぞ
 
 虫の名前:アシナガバチ→あしっつるし オオスズメバチ→ふえんどう 黄色スズメバチ→しらばち ツクツクホウシ→おおしんつくつく ヒグラシ→かなかな ニイニイゼミ→じいやき 蚕→おこさま クワガタ→おにむし カブトムシ→がんのう 雌のカブトムシ→まぐそ・ぶんた・ぶたっけつ バッタ→ぎっつ カマドウマ→べんじょこうろぎ カメムシ→わっくさ デンデンムシ→でえろう ナメクジ→はだかでえろう ミミズ→めめんたろう
 
 動物の名前:カモシカ→くろっこ・くろんぼ・あおた・あおしし ジョウビタキ→もんつきばか ツバメ→つばくろ ミソサザイ→みそっちょ ガマガエル→おおひき・おおひきべっとう カエル→べっとう・べっとこしゃー・べっとこしょー 
 
 植物の名前:タラの芽→たらっぺ 春蘭→じんじんばあ 桑の実→どどめ 露草→いんきぐさ
 
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 他にもいろいろあるのだと思う。あちこち出かけていろいろな人に話を聞くと秩父方言名詞辞典のようなものができるかもしれない。言葉は生きており、いつかは消えてしまう。消えないうちに記録に残すことできれば面白そうだ。
 
 
 
 

2017年4月 6日 (木)

絵を届ける

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 4月6日、吉田の出浦清平さん(92歳)に「囲炉裏」の絵を届けに行った。
 国道299号でいつも秩父に行くのだが、今の季節はヤマザクラ、ソメイヨシノ、レンギョウ、ハナモモなどの花々が目を楽しませてくれる。
 桜はまだ三分咲きという感じだが、暖かく霞んだ山々は春を待ち焦がれている風情だった。奥山の頂きや武甲山の山頂付近は雪が積もっているので、何だか秩父じゃないみたいな景色でもあった。
 
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 清平さんは約束に時間に待っていてくれて、絵を渡すととても喜んでくれた。嫁のひろ子さんが明るく対応してくれ、楽しい時間を過ごした。朝早く山の畑で椎茸の収穫をしてきたとのことで、お土産に立派な椎茸と産みたての卵を頂いた。こうして喜んでもらえることが次のモチベーションになる。ありがたい事だ。
 
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 荒川の若林さんに本を届ける。7冊の注文を頂いていたので、友人の清水さん分も合わせて一緒に届けた。若林さんの家は「若美屋」というお店をやっている。ちょうど昼時だったので日替わりランチを注文した。今日のランチは「桜うどん定食」。きれいなピンク色のうどんがメインの定食だった。近くには有名な青雲寺のしだれ桜が見頃になる時期だ。季節に合わせたレンチメニューは味も良く600円という安さで大満足。
 清水さんとは一時間くらい話し込んだ。久しぶりだったので話は尽きなかった。
 
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 帰り道に立ち寄った羊山公園の桜はまだ二分咲き。それでも多勢の人々が花見に来ていた。秩父の春は始まったばかりだ。
 一日FITに乗っていてだいぶ慣れてきたが、まだ体の一部という訳にはいかない。早く新しい車に慣れないといけない。がんばろう。
 
 
 
 

2017年4月 5日 (水)

囲炉裏をアップ

Irori
 
 ホームページの山里の記憶コーナーに「囲炉裏」をアップした。
 囲炉裏の取材はずいぶん前から探していて、ほぼ諦めていたところだった。囲炉裏があっても観光用だったり、別荘のしつらえだったり、炭しか使えないものだったりした。
 囲炉裏は薪を燃やすもので、炭しか使えないものは囲炉裏もどきでしかない。実際にそこで鉄瓶で湯を沸かしたり、鍋でうどんを作ったり出来るものでなければならない。消防法の関係もあり、人が住んでいる家では使うことは難しい。
 そんな囲炉裏だが、今回奇跡的に「山の家にあるよ…」という事で取材が出来た。
 
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 取材した出浦清平さんは92歳という高齢だが、今でも畑仕事をしているという元気な方だった。昔話は東京で過ごした子供時代の話から、戦後苦労した畑仕事の事など多岐にわたった。山の家からは正面に武甲山や吉田の市街地が見下ろせた。県道から三キロほど入った山の中にこれほど広い畑があるとは思わなかった。
 林道が出来たのは三年前のこと。清平さんは毎日この山の畑まで山道を登って通っていた。山道を長い竹を束にして背負い降ろした話はすごかった。一日に五回も山の畑と下を往復したという。本当に大変な仕事だったと思う。
 
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 ランプも現役だったのに驚かされた。発電機はあるが、山の家に泊まるときはランプを使っているとのこと。こういう形で昔の暮らしが残っていることが嬉しかった。
 山の家の敷地に「秩父事件」の看板が建っていた。ここが秩父事件発祥の地ということで、これまた驚かされた。近くに「ばくち岩」という場所があり、そこで関係者が密会していたということだった。清平さんも息子さんも行った事がないという。もう道も荒れてしまって、ないという話だった。
 
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 山の畑は今、息子の定市さんが引き継いでいる。猪や鹿の被害と向き合いながら山の畑で農業を続けており、粟野山の歴史はまだまだ続いている。
 
 
 
 

2017年3月26日 (日)

さよならレガシィ

Kuroo
 
 15年間親しんだレガシィと別れることになった。レガシィ惜別の旅行記をやっとアップすることが出来た。以下、旅行記の巻頭言。
 
 紀伊半島一周の旅が終わった。十五年間生活を共にしたレガシィへの感謝の旅だった。熊野・那智・串本・龍神・高野山・吉野山・なばなの里と回って帰って来た。七泊八日、走行距離1756キロのドライブ。最後の旅の場所は神様と仏様を巡る旅になった。多くの神様・仏様にレガシィへの感謝を伝えた。                  
 瀬音の森の活動、釣り旅、東日本大震災のボランティア、秩父の山里への旅などなど、レガシィは私の人生の大きな部分を共に過ごしてくれた車だった。本当に感謝している。ありがとうレガシィ。
 
Taki
 
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2017年3月23日 (木)

囲炉裏の取材

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 23日、下吉田の粟野山に囲炉裏の取材に行った。取材したのは出浦清平さん(92歳)で、山の家にある囲炉裏で火を燃しながら、いろいろな昔話を聞いた。
 囲炉裏はずいぶん前から探していた。今、囲炉裏のある家は別荘とか民宿しかなく、また、あっても直火ではなく炭専用だったりして形だけのものになっている。実際に火を燃して使える囲炉裏は本当になくなっていた。今回はたまたま住んでいる家ではないが、実際に使える囲炉裏があると聞いて取材を申し込んだものだった。
 
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 清平さんは92歳という高齢ながら、今でも畑仕事をしており、腰が悪いくらいで何の問題もなく生活している。記憶力も確かで、昔の話も明瞭に覚えている人だった。
 竹切り出しの仕事、畑仕事、山道を往復した話、軍隊時代の話、本当にいろいろな話を聞かせていただいた。囲炉裏で火を燃しながらの昔話は、自分が若かった頃の思い出を蘇らせてくれ、懐かしい匂いの中で楽しい時間だった。
 
 自在鉤に吊り下げた鉄瓶の湯が沸くと、コポコポと急須に注ぎ、お茶を入れてくれた。真っ黒な自在鉤には手製の魚の留め具が付いている。見上げる神棚には真っ黒に煤けた恵比寿様がちょこんと座っている。火の神様にはしめ縄がついている。
 梁も天井も真っ黒だ。昔はみんなこういう感じだった。マッコの片側を切り取り、土足で囲炉裏に向かうように工夫しているのはアイデアだと思った。これなら地下足袋を脱がなくても暖まることが出来る。木をくべるのも楽だ。
 
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 清平さんが竹を背負って運んだという山道を歩いてみた。車が走れる林道が出来たのは三年前のことだという。それまでは全ての物を自分の背中で運んだ。片道一時間弱の山道を一日に4往復も5往復もしたという。
 一町歩の畑で出来る作物は全部背負子で運び下ろした。肥料などは全部背負子で上まで運んだ。今は自動車が走れるが、88歳の時まで自分の背中で運ぶしかなかった。時にはバイクで急坂を走ったり、クロールカートを使ったりしたが、基本は自分の背で運んだ。
 
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 山の家からは正面に武甲山が見え、吉田の町並みが見える。家の敷地内に秩父事件の案内看板が立っている。秩父事件の発祥の地でもあった粟野山。近くに賭博岩があって、そこで秩父事件の主役達が密会していたのだと書いてある。確かにここは、吉田・石間・阿熊の中間にある。密会の場所には最適だった。でも、清平さんの家は仕事一筋で秩父事件には参加しなかったという。今でも真面目にコツコツと働くことが信条だという清平さんだった。
 
 
 
 

2017年3月18日 (土)

絵と本を届ける

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 17日、秩父に絵と本を届けに行った。絵を届けたのは手前味噌の会の倉林昌子さん。天気の良い日で、高台にある昌子さんの家からは小鹿野の町並みがよく見渡せた。
 昌子さんのご主人は画家で、たまたまご不在だったが、たくさんの絵を見させて頂いた。強いタッチの油絵は、私の絵とは遠く離れた境地で、思わず見入ってしまった。
 料理上手の昌子さんがアップルケーキとコーヒーを頂きながら味噌作りや郷土料理の話に花が咲いた。知り合いの話も色々出て楽しい時間だった。
 
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 絵を渡してからは本を届けに走り回った。両神の湯元さん宅に本を届ける。食堂「ななたき」に本を届け、ついでに食事する。昨夜飲み過ぎたので野菜炒めと半ライスと少なめの昼食になった。両神の道の駅で野菜と桜の花を買い、同級生と話す。
 野田自動車にファイルを届け、大滝・大輪の山麓亭に向かう。山麓亭では千島茂さんとお茶を飲みながら秩父鉱山の話に花が咲く。「鉱山関係の新しい資料が出て来たのでやるよ…」と言われ、その資料を夢中になって読む。貴重な鉱山記録だった。
 
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 大久保の千島敬子さんに頼まれた本を山麓亭に託し、岩殿沢に向かう。紀伊半島のお土産を兄の家に届け、そのまま豆腐を買うために道の駅龍勢会館に向かう。ところが、臨時休業の張り紙が貼ってあり、がっかり。
 最後は本庄の櫻井さん宅へお土産を届ける。いろいろ話してお茶請けを頂き、大根とおはぎをお土産に帰宅した。山里は春の気配が濃くなり、暖かく快適だった。そこかしこで梅の花が満開となっており、そろそろ黄色い花が咲きそうな気配だった。
 
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 そういえばそろそろ釣りも解禁になるなあ…などと思いながら車を走らせていた。
 
 
 
 

2017年3月15日 (水)

手前味噌の会をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「手前味噌の会」をアップした。この取材は二泊三日という長い取材だった。味噌作りの工程を文章にするだけで紙面いっぱいになってしまい、書ききれない事がとても多かった。
 そのひとつがお茶のみ時間のこと。休憩時間には必ずお茶が出され、参加者自慢のお茶請けが出された。これがじつにバラエティに富んでいておいしかった。ひとつひとつを取材したいようなお茶請けの数々で、本当に楽しい時間だった。
 
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 写真に撮ったものだけでも色々ある。手作りの干し柿・干し芋はほんのり甘い懐かしい味だった。参加者のご住職が点ててくれた抹茶と羊羹の時もあった。ゆずの皮を甘く煮たものはまるで数の子のように見える逸品だった。最終日に昌子さんが作って来てくれたみそまんじゅうは餡がしゃくし菜で食べた事のないおまんじゅうだった。栗の甘露煮やトマトの甘酢もあった。こうした手料理は参加者が自慢のものを持ち寄って作り方や味付けの工夫を伝えあうもので、この会の楽しみのひとつになっているという。
 参加者が作ってくるお茶請けに刺激を受けて、自分なりに工夫したお茶請けを作るようになるとのこと。料理上手が競えばさらにおいしい料理が出来る。切磋琢磨の相乗効果だ。
 
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 公民館で始めた味噌造り講座から始まった味噌作りの会。会員が60人を超え、その活動も円熟期にさしかかっている。会場の運営や道具の管理など難しい問題も多いが、毎年の作業を楽しみにがんばっている。
 手作り味噌のおいしさは作った人が一番良くわかっている。自分の手で材料を集め、自分の手で加工し、こね、仕込む。二年・三年と時間を経て味噌がおいしくなる。味噌作りはその地域の文化そのものだと思う。昔から続いている手仕事だが、時代の先端を行く機械も使いながら自分達で味噌を仕込む。子供達や孫達の世代まで続けたい食の文化だ。
 昌子さんから頂いた二年物と三年物の味噌はしっかり味わって食べたいと思う。
 
 
 
 

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