2019年9月14日 (土)

秋田に来ている

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 昨日から秋田に来ている。9時間走って仙北市のクリオンに泊まった。いつものメンバーとは今晩合流する。以前は前日車中泊で釣りをしていたのだが、今はもうそんな体力・気力がなくなった。温泉で体を休め、しっかり朝食を食べてから釣りに出かけた。
 今日はいつもの川、阿仁川の支流だ。
 

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 川に降りると水が少ない。晴れているし、厳しい釣りになりそうだ。案の定10時頃まで魚が釣れなくて焦ったが、10時以降にポンポンと釣れてくれて全部で15尾のヤマメとイワナが遊んでくれた。イワナの大きい個体は産卵のために上流へ行ってしまったようで、小さいイワナしか釣れなかった。その代わり、ヤマメは全部大きかった。大きいヤマメが釣れたので大満足の釣りだった。
 

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 それにしてもこの川の景色は素晴らしい。大きなイタヤカエデ・サワグルミ・トチノキなどが豊かな渓畔林を形成している。下層はシダが密生し、灌木も豊かだ。何より木が大きいので毛針が木に引っかからないのが嬉しい。気分良く毛針を振り込むことが出来る。
 淵が少ないのでエサ釣りの人が入らないのがいい。瀬の多い浅い川は毛針釣りの天国だ。おまけに魚が多いのだから言うことはない。毎年、この川を歩くのが楽しみで秋田まで足を伸ばす。
 

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 6時間釣りをして脱渓しようとした場所で、なんと尺ヤマメが釣れた。浅い瀬だったので根がかりかと思ったら魚だった。下流に走られたのだが、なんとか引きずり上げた。いやあ痺れるやりとりだった。でかいヤマメは圧力が違う。よく外れないで上がってくれた。
 この1尾で大満足。意気揚々と杣道を登って車に着いた。いやあいい釣りができた。
 
 明日・明後日と今年最後の釣りを楽しみたい。

 

 

 

 

 

2019年9月 8日 (日)

「山芋ステーキ」をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「山芋ステーキ」をアップした。この取材をしたのは大島瑠美子さん(77歳)だったが、そのパワフルな行動力に驚かされた。料理の取材だったのだが、話は多岐にわたり、次から次に話題が変わり、焦点を絞るのが大変だった。
 現役の町議会議員ということもあり、言いたいことが山ほどある瑠美子さんだった。話題は次々に変化し、止まることがない。聞きたいことの答えがすぐに違う話になってしまうので困った。
 

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 今回は山芋ステーキの話とカフェの二階にある「銘仙館」の話に絞って聞こうと思って取材に入ったのだが、カフェの話、古本の話、古物商の話、地域の話とどんどん広がってゆく。軌道修正しながら話を聞き、料理作りに入ってもらう。料理作りも早いこと早いこと。ささっと下準備して、ソースの説明をしながら材料を加工し、メモしている間に消えて倉庫に走っていたりと、とにかく忙しかった。「簡単にできるのと美味しいのが両立しないと商売にならないの・・」などと自らのポリシーがさらりと出てくる。忙しくて緊張感のある取材だった。
 

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 文章をまとめながら、「これで本当に瑠美子さんが言いたかったことを書けているんだろうか・・」と疑心暗鬼になったが、全力で取り組んだ結果だから批判は甘んじて受けたいと思う。忙しい取材の時はどうしても後日そんな葛藤が起こる。絵はよく描けたので大満足。文章は本人に確認してもらうしかない。
 それにしても77歳にしてこのパワフルさはすごい。やりたい事が山ほどあるし、実際にやっている。地域に欠かせない人なのだと思う。率先垂範の典型的な人だった。
 

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 二階の「銘仙館」は古い木製の織物関連機械が実際に触れる貴重な博物館だ。説明文も読みやすいし、種類も実に豊富だ。大正時代の着物、お祭り関連の着物、銘仙の織り柄見本になるような生地など見所が多い。「若い人に見てもらいたいんだけど、あんまり興味がないみたいで・・」と少し寂しそうだ。自分の家の記憶として、長瀞町の記録として貴重な博物館だと思う。できれば多くの人に見てもらいたいものだと思う。

 

 

 

 

2019年9月 5日 (木)

千鹿谷鉱泉を取材

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 9月4日、秩父市上吉田の千鹿谷(ちがや)にある千鹿谷鉱泉を取材した。取材したのは坂本春子さん(77歳)で、千鹿谷鉱泉の歴史や現在の状況について話を聞かせていただいた。
 千鹿谷鉱泉の歴史は古く、400年前に開湯しており、江戸時代の「秩父7湯」の一つに数えられて有名なお湯だ。日尾城主の隠し湯として春子さんのご先祖が湯を作り、守り伝えて来た。現在は宿泊業務はやっておらず、お風呂の営業だけになっている。無人で24時間自由に入れる秘湯としてネット上でも人気になっている。

 

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 温泉に入りたい人は700円を自分で払って勝手に入る。男湯・女湯があり、常時源泉かけ流しの天然温泉だ。鉱泉をボイラーで加温して適温にして流している。
 家の裏手の山から源泉が湧いており、タンクを三つ満たしてそのままボイラーに流し、自動的に適温にしてお風呂に流すシステムになっている。ボイラーは24時間稼働しており、無人ということもあり、24時間入浴が可能だ。月に20人から30人くらいの利用者があり、必要経費を回収するのがギリギリの線だという。利用者が増えるのを期待しているが、宣伝もできないので難しいとのこと。少しでも利用する人が増えてくれればと思う。
 

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 昔から千鹿谷鉱泉は「薬湯」として知られており、あせもや水虫によく効くと言われている。無色透明微硫化水無臭の鉱泉で加温するだけで温泉になる。日尾城主の隠し湯として始まったが、農休みなどでは近隣の庶民に使われ、江戸時代には札所巡礼の湯としても利用されていた。
 実際に入ってみるとさらりとした湯は体を芯から暖めてくれ、上がった後のスベスベ感は美人の湯といってもいいくらいだった。誰もいない家でお風呂に入っている感覚も新しい。決して新しい建物ではないが、お風呂は綺麗で清潔だ。
 

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 千鹿谷鉱泉は秩父事件の現場でもある。明治17年9月27日、井上伝蔵、落合寅市、高岸善吉、大野福次郎の秘密会議が行われ、蜂起による解決を決めた場所だ。また事件で大活躍した「千鹿谷の大将」こと島崎嘉四郎と弟の弥十郎の出身地でもある。千鹿谷集落はもともと日尾城に詰めていた武士の子孫で作られており、刀なども各家にたくさんあった。秩父事件で大活躍した島崎嘉四郎と弟の弥十郎の家は常に警察の監視が来ていて長い間家の人は大変だったという。今は80代のおばあちゃんが一人で家を守っている。
 

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 取材の後、千鹿谷集落を見に車で奥まで走った。奥山に隠れるように何軒かの家の軒先が見えた。普通の大きさではない巨大なお墓が山に広がっていてびっくりした。峠に抜ける道をどこで間違えたかぐるりと回って元の道に戻ってしまい、狐につままれたような不思議な気分になった。ここに400年住み続けて来た人たちにはどんな歴史が伝えられているのだろうか・・・秩父は深い。

 

 

 

 

2019年8月28日 (水)

山芋ステーキを取材

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 8月27日、長瀞町・野上下郷に山芋ステーキの取材に行った。取材したのは大島瑠美子さん(77歳)で、自身が経営する「かわらんち」というカフェでの取材だった。
 銘仙の取材で伺った折に食べた山芋ステーキが美味しくて申し込んだ取材だった。「こんなもんでいいんかさあ・・」という瑠美子さんを説得して話を聞かせてもらった。
 

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 瑠美子さんは今年で5期目になる現役の長瀞町議会議員だ。なぜ「山芋ステーキ」を考え出したのか聞いたところ「長瀞の”とろ”と山芋の”とろろ”をかけてね、何かできないかさあって思って考えたの・・」と町おこしの一端で始めた事を話してくれた。ただ、材料費がかさむので飲食店の方々にはあまり賛同がもらえなかった。だったら自分でやろうと始めたメニューだとのこと。
 

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 山芋の皮をむき、丁寧に根や汚れを落とし、すりおろす。熱した鉄板にバターを溶かし、すりおろした山芋を乗せて焼く。しばらく焼いたら専用のタレをたっぷりかけてジュージューと焼き上げる。ネギを上に散らし、焼きあがったら花かつおをたっぷり乗せれば山芋ステーキの完成だ。
 ふわふわの食感とタレで焦げた底の味があいまって実に美味いステーキになった。これを500円で提供する。定食にして700円だ。
 

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 お年寄りのお客様にはご飯も柔らかく焚いて出す。ご飯の量も聞いてから盛るようにしている。店内にはたくさんの本があり、自由に読むことができる。自分が留守の時も鍵は空けておいて、誰でもいつでも入れるようになっている。地域のお年寄りがいっぱい立ち寄ってくれるカフェだ。
「世間話の大合唱も、実を言うと生きる喜び」「数多く笑った方が人生の勝ち組だよ」と不在案内看板に書いてある。そんな瑠美子さんの主張がこの店のポリシーになっている。
 

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 カフェの二階は銘仙館というミニ博物館になっている。瑠美子さんと村田ミキさんが収集した銘仙の着物や座繰り機・糸巻き機などが整理されて展示されている。素晴らしいのは全て触って良い展示になっていること。織物や古い機械の感触を楽しむのもいいし、実際に自分で動かして糸を繰る事も体験できる。「子供達に体験させるのが目的で始めたの・・」と瑠美子さんが言う。
 展示品には短い文章の説明が付いていて誰でも銘仙の歴史を学ぶことができる。
 

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 山芋ステーキはあっという間に出来て、熱いうちに食べさせていただいた。お年寄りに優しいお店は瑠美子さん自身が歩んできた歴史が詰まっていた。
 明るく賑やかで、話好きな瑠美子さんの事をどう絵にするか、難しい画題だが、頑張ってみようと思う。

 

 

 

2019年8月26日 (月)

「ねじ」をアップ

 

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「ねじ」をアップした。取材をした高橋 勇さん(六十七歳)は麺作りが趣味の人で、時に水にこだわる人だった。勇さんがこだわっているのは軟水で、秩父中を探して美味しい軟水を探している。秩父は武甲山や白石山など石灰岩の山が多く、これらの山から湧く水は硬水になる。秩父の名水と呼ばれる中にも硬水が多く、軟水の美味しい水はなかなか見つからないという。軟水でないと美味しい料理が作れないし、美味しいお茶も飲めないのだと勇さんは言う。美味しい軟水を探して料理に使うという執念がすごい。
 

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 今回の「ねじ」はなぜ「ねじ」と呼ばれるのか諸説あってわからない。わかっているのはお盆やお彼岸など先祖供養の場面で作られる料理ということだ。迎え火を焚いて仏壇に備える家もあれば、送り盆で食べる家もある。それぞれの家例によるので家ごとに違う。もちろん作らない家もある。
 勇さんは7年前から「ねじ」を作るようになった。それまで母親が作っていたものを引き継いだのだという。「お袋がやってなけりゃあ俺だってやってないよ」と笑う。
 麺作りが趣味なので「ねじ」も勇さんなりの工夫をしている。茹でる前に形を作ることだ。結んだもの、真ん中に切り目を入れて片側を通したものの2種類の「ねじ」を作る。結んだものの方が食べやすいという。ちょうど一口サイズになるからだ。
 

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 家の敷地には立派な稲荷神社がある。先祖から受け継いだものだ。歴史ある旧家の伝統と言ってしまえば簡単だが、毎年「ねじ」作り続けるにはそれなりの情熱が必要だ。
 勇さんは麺作りという趣味の延長で「ねじ」を作っている。だから手を抜かないし、工夫もする。麺を茹でる水も軟水にこだわる。出来た「ねじ」を新盆の家に配ったり、集まった兄弟・親戚に提供したりする。昔を知っている人が喜んでくれるという。
 

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 取材は12日だった。迎え火を焚いて仏壇に「ねじ」を供えるのは明日だという。庭にはお盆様に飾るほおずきが赤く色づいていた。笹や竹で飾った盆棚にはナスの牛やキュウリの馬も飾られる。
 夏のお盆は特別な時期だ。特別な時期の特別な料理「ねじ」。作るところを取材したが、実際には食べる場面が本当に意味ある場面なのかもしれない。お盆にしか食べられない「ねじ」が来年も再来年も作られて、同じ光景が続いて行くことが意味あることなのだろう。

 

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2019年8月21日 (水)

舘岩村で釣り

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 8月20日と21日、懐かしい舘岩村に行って釣りをしてきた。いつ以来だろうか、多分20年ぶりくらいになるかもしれない。若い頃に何度も通った川で、キャンプした思い出も懐かしい。
 ふと思い立って急に行きたくなった釣りだった。湯の花温泉の民宿を予約して、朝から雨が降る中を出かけた。雨は会津西街道に入ると止んで、舘岩村に入ると晴れてきた。目指す川の入り口で釣り券を買おうとしたらおじさんがいない。仕方ないので2キロ戻り、ヤマザキショップで2日分の釣り件を買う。2日分で2200円だから安いものだ。
 

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 いつもキャンプしていた堰堤から入る。山の神の社が壊れていたが、お賽銭はいっぱい置かれていた。何もかもが懐かしい場所だ。しばらく思い出に浸ってから川に入る。昨夜も雨が降ったらしく少し増水しているようだ。河原を歩くのが気持ちいい。
 少し上流でいきなりイワナが釣れた。まるで待っていてくれたかのようで嬉しかった。花崗岩の岩は滑りにくいので歩きやすい。変化の多い渓谷で、遡行するのが楽しい。

 

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 ポツポツと釣れ、四つを数えたところで雷が鳴り出した。ちょうど橋のところだったので素直に脱渓した。林道を歩いているうちに猛烈な雨になった。土砂降りの雨が合羽の上から叩きつけて痛い。林道はあっという間に泥水の濁流になり、強風で雨が横殴りになり前が見えないほどだ。ゲリラ豪雨と聞いてはいたが、山の中でこんな豪雨に遭うとかなり不安になる。
 40分土砂降りの中を歩いて車についたときは本当にホッとした。車で着替えて休んでいたら雨も静かになってきた。あのまま降り続いたら林道から出られなくなるかもしれなかったので良かった。

 

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 まだ時間が早かったけれど川は泥水の濁流と化しているので釣りどころではない。車を走らせて檜枝岐まで行ってみた。檜枝岐歌舞伎が九月にあるので大きな歌舞伎の幟旗がたくさん立っていた。
 道の駅で一休みして宿に向かう。宿は湯の花温泉の民宿「かじや」。元気なおかみさんが迎えてくれた。すぐに湯に入って体を暖める。いい温泉でゆっくり暖まった。
 夕飯も朝食も食べきれないほどの料理が出て、大満足の民宿だった。囲炉裏で焼いたイワナの塩焼きもイワナフライも旨かった。

 

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 2日目は民宿目の前の川。昔何度も通った道がそのまま残っていて、入渓もスムーズだった。入ってすぐに大きなイワナが釣れた。その後は反応がなかったが、川が綺麗なので飽きることはない。堰堤を高巻きしてすぐにまたイワナが釣れた。そこから上流は滑沢になる。川幅いっぱいに岩盤の上をサラサラと流れる川。魚はいそうにないが、歩いていると最高に気持いい川だ。こんな素晴らしい景色を独占している贅沢。この何百メートルもの滑沢を歩いただけでも来た価値がある。
 滑が途切れたところで脱渓した。魚よりも景色に満足して上機嫌になるのだから人間も変わるものだ。最後に最高の景色を見ることができた。

 

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 午後から昨日のような大雨が予想されていたので釣りは終了。道の駅で大きな桃をお土産に買って帰路に着いた。佐野サービスエリアで休憩し、今話題の佐野ラーメンを食べた。30分待たされて食べたが、普通のラーメンだった。

 

 

 

 

2019年8月13日 (火)

ねじの取材

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 8月12日、秩父市の下影森にねじの取材に行った。取材したのは髙橋勇さん(67歳)で、お盆だけに作るという特別な料理を作って頂いた。以前にお盆料理として「小豆ぼうとう」という料理を取材したことがあった。内容を聞くと、ほぼその料理と同じだとわかったが、勇さんは「ねじ」と言う。簡単に言うと、太いうどんをねじって茹で、あんこをまぶすもの。お盆に帰ってくるご先祖様が仏壇に落ち着く為のご馳走だ。オチツキと言って、小豆ぼうとうだったりタラシ焼きだったりと地域や家によって違う。
 

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 生地は出来ていた。500グラムのうどん粉に少量の塩を加えて軟水で練り、一晩寝かせたもの。寝かせる事でグルテンが育ち、生地に腰ができる。美味しいうどんを作るのと手順は同じだが、塩の量が少ないと言う。粉の持つ味と力を最大限生かしたいのだと勇さんは言う。
 丸い生地を厚いビニール袋に入れて足で踏む。伸ばして畳んだものを再度足で踏む。こうすることで生地に腰が出る。次は麺棒で平らに伸ばす。勇さんの動きはよどみがなく淡々と確実に生地が大きく広がってゆく。軽快に動く麺棒と両手の動きが見ていて楽しい。
 

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 平らに伸びた生地をうどん包丁で切り短冊状にする。ここからがねじの由来に繋がる作業。細長い生地をおみくじを結ぶように結ぶ。次から次に結んだ麺が出来上がる。勇さんのねじにはもう一つ別のスタイルがある。短冊麺の中央に切れ目を入れ、片方の端を穴にくぐらせるスタイル。こんにゃくの煮物を作るときにやる形を麺生地で作るもの。それぞれ別々に作っているそうだ。
 今まで、短冊状の麺をねじるということで「ねじ」と言われるのだと思っていたのだが、勇さんのねじは更に進化しているようだった。
 

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 沸騰した湯にねじを投入して20分強火で茹でる。ゆるく溶いたアンコが銅なべに入っている。今回は既製品のアンコを使ったそうだ。茹で上がったねじをアンコ鍋に投入して冷ませばねじの完成となる。一晩冷蔵庫で寝かせたねじをお皿にもり、盆の仏壇に供えるのは迎え火を焚く日のこと。ご先祖様を迎える盆のご馳走だ。盆に集まる親戚や兄弟が喜んでくれるこの時だけのご馳走だ。出来上がりはまだアンコもサラサラだが、一晩おくとねっとりと固まるらしい。
 

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 作りたてを一つだけ食べさせてもらった。もっちりしたねじと甘いアンコが絡んだアンコ餅のような味と食感。夏のご馳走だと思った。手間をかけて作ったねじのもちもち感が素晴らしい。ご先祖様もさぞ満足することだろう。

 

 

 

 

2019年8月11日 (日)

アジが来た

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 8月11日、JICKYさんから連絡があった。「アジを釣ったので届けます」とのこと。午後2時に10尾のアジが届いた。丸々太った大きなアジばかりだった。
 アジが届くと忙しくなる。早速三枚におろす。アジを捌くのは慣れているのでスムーズに作業が進んだ。30分ほどで10尾のアジは骨抜きの半身になって冷蔵庫に収納された。
 

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 さて、料理だが、アジの料理は大体決まっている。今回はなめろう、手まり寿司、刺身、フライの4種類の料理を作る。
 なめろうはアジを細切りしてネギ・ミョウガ・大葉・味噌・ゴマに隠し味の砂糖を少々加えて包丁で叩く。叩くうちに粘りが出てくる。アジの身が細かくならないように粗めに叩いて出来上がり。
 

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 手まり寿司はアジの半身の表に細く包丁を入れ、半分に切ったものを味ぽんに浸けてずけアジにする。すし飯は冷ましたご飯に味ぽんとゴマを加えて切るように混ぜたもの。
 ラップの上にアジを置き、大葉を乗せすし飯を乗せてラップを絞るように丸くまとめる。これを八個作って冷蔵庫で冷ます。食べる直前に皿に守れば出来上がり。
 

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 刺身はツマをきゅうりで作った。大葉を飾り、彩りにミニトマトを湯むきして半分に切ったものを添える。骨抜きしたアジの半身を薄切りにして6切れずつを重ねて並べる。大葉を敷くと盛り付けが綺麗になる。
 フライは釣りアジの旨さを堪能できる一品。半身のアジに片栗粉をまぶし卵液をくぐらせ、細かいパン粉でコーティングして油で揚げる。揚げ色が付けば大丈夫。紙で油を取ってから皿に盛り付ける。キャベツの千切りが添え物。
 

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 最後に残ったパン粉・片栗粉・卵液に刻み葱と刻み人参を加えて生地を作ったチジミを焼く。揚げ物の余り物で作る定番料理。
 大変なご馳走で素晴らしいディナーになった。合わせるお酒は石川県能美市から買って来た清酒「手取川」大吟醸・名流の逸品。面影画の講演会をやった記念に買って来た銘酒。JICKYさんのアジと絶妙のハーモニーを奏でてくれた。
 ご馳走様でした。

 

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絵を届ける

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 8月10日、高崎の倉賀野に絵を届けに行った。「九十八歳の道のり」の絵を届けたのは長井知津子さん(70歳)だった。知津子さんは絵のモデルになった若林金一さんの娘さんで、施設に入所している金一さんに都合の良い時に絵を届けてもらう為に届けたもの。
 この日はお盆の帰省ラッシュのピークだった。朝7時に家を出て混んでる関越を避けて下道で花園インターを目指す。花園までの渋滞を避けるためだったが、田舎の下道は風情があって楽しい道だった。約束の11時よりも早く着いたので良い判断だったと思う。

 

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 知津子さんの家は倉賀野で有名な「洋菓子のミリオン」というお店だった。FBでお店の事は知っていたが実際に入って見て驚いた。ショーケースに並んだ宝石のような洋菓子の数々。その品数の多さに繁盛店だということが良くわかった。
 知津子さんに挨拶して案内されるままに厨房のテーブルで冷たい麦茶をいただく。暑かったので冷たい麦茶は何よりのご馳走だった。
 

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 知津子さんは、息子の真さんと一緒に絵をとても喜んでくれた。知津子さんは小鹿野高校の同窓生という事もあり、話が弾んだ。息子の真さんは洋菓子作りの他に鉱石マニアであったり、マジシャンであったりという多芸多才の若者。話していてもおじいちゃん思いの温かさが伝わってくる素敵な若者だった。
 次の取材用に手土産になる焼き菓子の詰め合わせをいただいた。お店のFBを見ていたカミさんのリクエストで何種類かの洋菓子を注文した。ところが真さんは代金を受け取ってくれない。
 絵のお礼だからと言って大量のお菓子をお土産にいただいてしまった。恐縮しながら帰路に着いたのだが、このまま帰るとカミさんに怒られそうだ。

 

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2019年7月31日 (水)

「九十八歳の道のり」をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「九十八歳の道のり」をアップした。取材した若林金一さんはとても九十八歳とは思えない記憶力と軽妙な話ぶりで楽しい取材ができた。その話の内容は楽しい事ばかりだった。奉公人時代の密かな楽しみ。出征してからも現地の人々との交流の話。終戦になってからの部隊での暮らしぶりも、鶏を密かに食べた話やナマズを釣って食べた話など。そして上海で陳中将に招かれて自宅で服を作った話や一等兵だったのに少尉の軍服を着て上海の街を歩いた話などなど。極め付きは秩父宮妃殿下との菊花を通じた交流の話。
 

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 聞いた話だけでも文章を書く事は出来たのだが、今回はそうしなかった。たまたま金一さんが自費出版した本があった。金一さんの歌集「共に老いゆく」という本だった。
 本を読んでいて取材ではわからなかった金一さんの人生を知った。この本のあとがきに自身の歩んで来た道が書かれていた。九死に一生を得た北支での軍隊生活。その厳しくつらかった事。三十歳で発病した結核との長い戦いの末に六十六歳で片肺を切除した事。看病する奥さんへのせつない思いなどが短歌で綴られていた。
 取材では全く聞けなかったことがたくさん綴られていた。短い時間の取材では避けられないことだが、話を聞くだけでは一面しか知ることができない。今回はこの歌集の存在が内容を深めてくれた。
 

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 どちらも本当の金一さんなのだと思う。そして何より心に響いたのは、山あり谷ありの人生だったはずなのに、大きな谷間もあった人生だったはずなのに、「いい時に生まれて、いい人生だったよ・・」という言葉が何の誇張もなくさらりと出てきた事だった。
 こんな大変なことがあったんだよとか、こんな辛い人生だったんだよとか、つい話したくなるのが人の性だと思うのだが、金一さんは逆だった。前向きな人が語る前向きな話の影に、こんな深い物語が隠れている。今回の取材で得た一番の収穫だった。

 

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