2020年7月 4日 (土)

ホームリバーへ

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 7月3日、ホームリバーで釣りをした。高速で2時間、那須の川に着いたのは9時。駐車場にはすでに2台の車が停まっていた。この川で車2台は少ない方なので「ラッキー〜」と、身支度をした。林道を歩いて30分、入渓した時に感じた。「ヤバイ、水が少ない・・・」明らかに渇水だった。
 先週、秋田で増水した川に悩まされたので、渇水ということは考えてもいなかった。遡行はしやすいが、これでは魚が出ないだろう。
 

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 案の定、魚の出が悪い。河原の石に残る濡れた足跡も気になる。それでもイワナが出てボウズがなくなり安心してゆっくり釣りを楽しむ。相変わらず綺麗な川だ。釣れなくても綺麗な川を遡行するのが楽しい。夕方から雨が降る予報なのだが、空は晴れていて暑い。
 昼までに3尾のイワナ、2尾のヤマメが釣れた。大きい魚が毛鉤の手前でターンするのが何回か。「下手くそ!ちゃんと食え!」と心の中で叫ぶ。水が少ないとこういう事が多くなる。ドキドキ感がたまらない。
 

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 今日はなぜか川ネズミが多かった。変な動きの魚だなあと思ったら岩に登ったりしているので川ネズミとわかった。これがなんと釣れてしまったのだ。ラインにネズミが触れたようで竿を上げたら尻尾に鉤が刺さっていた。すごい抵抗でラインに絡まるのではと心配したが、チュウ〜チュー大騒ぎをしているうちに鉤が外れて、飛ぶように川に消えた。川ネズミが釣れるなんて、運がいいんだか、悪いんだか。
 

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 午後、急に魚の反応がなくなった。浅い川の歩く場所が先行者と同じようで、川底の苔が歩く場所ごとに白くなっている。これは多分同じ釣り方をする人なのだろう。遡行するうちに明らかに濡れたばかりの足跡が岩についていた。これを見て今日の釣りを諦めた。どうやら先行者に追いついてしまったようだ。まあ、こんなこともある。午後はイワナ1尾、ヤマメ1尾の追加だった。
 脱渓して帰る林道の素晴らしさ。サワグルミやトチノキが高い天井を形成し、両側の斜面にはシダの葉が一面に茂っている。この道を歩くだけで気分良くなる。
 まあ、魚の出はイマイチだったけれど、雨にも降られなかったし、良しとしよう。

 

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2020年7月 1日 (水)

東北釣りの旅その2

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 28日朝、曇り。今日は「再会の森」草刈りの日なのだが、東京から来た人間が参加するのは集落の人たちにとってリスクになるのではと思い、今回の参加は見合わせた。先日の宴会時に高橋さんとその話は済ませていた。行きたいが、東京の感染者数が増え続けてる現在、高橋さんに余計な気を使わせることになるのは目に見えている。次回までにコロナが終息してくれることを願う。
 朝食を食べてクリオンをチェックアウト。三泊して一万二千円は安い。駐車場で写真を撮って、三人と別れる。もう20年以上来ている西木だが今回が四人と一番少なかった。あと何年これを続けられるのだろうか。

 

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 西木から山形目指して走る。今日は南陽市の赤湯温泉に泊まる。皮肉なことに移動日に限って天気がいい。車は順調で、気分もいい。途中の金山で25日と同じ川に入る。駐車場には車が7台も停まっていた。着替えて、今日も4時間の釣り。この川は渓畔林が素晴らしいので釣れなくても楽しい。結局4時間で七尾の釣りができたので大満足。25センチのヤマメが釣れたのが良かった。時折陽射しも差し込む空模様で、楽しい釣りだった。

 

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 車に戻り、すぐに出発。東根の浄国寺を目指す。途中でお供え用の菊の花を買い、岡田さんのお墓まいりをする。毎年お墓まいりをして赤湯温泉に向かうのが恒例になっている。もう何年になるだろうか。両手を合わせて冥福を祈る。
 赤湯温泉に到着したのは夕方6時。遅くなったのを詫び、すぐに温泉に入り、夕飯になる。ここはサービスで米沢牛のすき焼きが食べられる。料理が多く、すぐに腹一杯になってしまった。

 29日、朝。曇り空から青空も覗いている。朝食を7時に済ませ、すぐに出発。目指すは飯豊の置賜白川。釣り券が八百円から千円に値上がりしていた。目指す川は小さい川で、条件が良ければ大釣りが期待できる。はやる心を抑えて入渓。すぐにイワナが釣れた。しかし、蜘蛛の巣がひどい。ラインと竿に絡まる蜘蛛の糸に大苦戦。魚はいるのだが、毛針が水面に届かない。それでもイワナ六尾が釣れてくれた。1日分の距離の約半分まで来た時に車が止まっているのが目に飛び込んだ。朝にはなかった車だった。山形ナンバーの車で、明らかに釣りの車だった。

 

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 なんてこったい・・・この小さな川で頭をはねられた。これはもう釣りにならない。諦めて脱渓した。こんな形で最後を締めくくるとは思わなかった。こんな小さな川でこんなピンポイントに釣り人が来る。この川ももう終わりなのかもしれない。月曜日だよ・・・まだ信じられない。

 

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 米沢市内に戻り、お土産のさくらんぼと米沢牛のステーキ用を買う。あとは一直線に帰るだけ。自宅に帰ったのは午後4時。予定より2時間早かった。まあ、2時間釣りが出来なかっただけのこと。
 走行距離1490キロの釣り旅が終わった。

 

 

 

 

東北釣りの旅その1

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 6月25日朝、秋田に向かって朝7時半に家を出た。行先は仙北市のクリオン。毎年行っている西木町での交流が目的だ。明日から釣りを二日間予定しているのだが、天気予報は二日間とも大雨。今年の初釣りが大雨かよ・・と気分が上がらない。
 上河内SAで宇都宮餃子の朝食セットを食べて、気持ちも新たに北上する。福島から東北中央自動車道へと進路を変える。ここ数年、この道を使って秋田に向かっている。なぜなら高速料金が安いから。一般道も走るので気分転換にもなるし、途中で釣りをすることもできる。
 

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 北上し、新庄から一般道を走る。金山で午前10時。釣り券を買って4時間ほどの釣りを決める。ダム上流の道路沿いの川に入る。上流からフライマンが二人降りてきたの聞くと「釣れないね〜」とのこと。まあ、なんとかなるだろうと入渓。そこから綺麗な川を遡上すること4時間。ヤマメが四つとイワナ一尾が遊んでくれた。渓畔林の綺麗な川で、魚が釣れなくても遡行しているだけで楽しい川だった。秋田に行く前に釣りをしたのは初めてだったが、この方法もいいなと実感。明日から雨が降るので、その前に釣りができて大満足。

 

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 クリオンに着いたのは6時。すぐに温泉に入り、レストランかたくりで夕食。従業員の方々も皆さんマスク姿で新型コロナ対策は万全だ。こちらも食べる時以外はマスク姿で移動する。

 

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 26日朝。夜半から雨の音が激しかった。起きて窓を開けると大雨だった。朝風呂に入ってテレビを見ているが天気予報は一日大雨と言っている。ネットで雨雲レーダーを見ると10時半から止む予報になっているので、思い切って雨の中を出かける。
 上桧木内の紙ふうせん館によって天ぷらそばを食べる。食べている間に雨足が弱くなってきた。目的の川に行き、小雨の中で着替えて入渓した。ところが、普段はチョロチョロ水の川が茶色い濁流がものすごい勢いで流れている。これは予想外だった。渇水しているはずだったので一晩降ったくらいでは多少の増水だろうと思っていたのだが、全く違った。勢いある濁流に遡行も困難だし、何より毛針を振る場所がない。しばらく遡行して見たのだが、全く釣りにならないのでそのまま脱渓するしかなかった。

 

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 沢山さんの「一助そば」に行って昼のそばを食べる。久しぶりの再会に奥さんも交えて話し込む。新型コロナの影響は田舎ほど大きいと嘆いていた。緊急事態宣言の日からいきなり観光客がいなくなった。観光バスも全く走らない。元に戻るのはものすごい時間がかかるだろうと嘆く。東京の人間よりも影響が大きいという真剣な言葉が胸に刺さった。

 

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 午後は目的の一つだったマスクのゴムを買いに走る。東京では今、マスク用のゴムをどこにも売っていないのだ。西木の雑貨屋さんに入って聞くと、やはりマスクのゴムはない。これならあるけどと出してくれた10ミリ幅のゴムを買う。
 角館市のホームセンターと百円ショップでもマスク用のゴムはなかった。車を走らせ、中仙市のイオンに向かう。イオンの中にあった手芸用品店は閉店していたが、新しくできた店内百円ショップになんとマスク用のゴムを売っていた。ここまで来てやっとゴムを買うことができた。ありがたい。これで家に帰ってマスクを作ることができる。これにて本日の作業は終了。

 夕方部屋で休んでいると沢山さんがやって来て「飲もうよ」という話になった。みんなが揃う前だったが「かたくり」に行って二人で飲み始める。しばらくすると高橋さんと野中さんがやって来た。賑やかに挨拶しているうちに加藤さんとイナさんが合流。最後に布谷さんがやってきて全員集合。宴会が始まった。一年ぶりの再会に話が弾む。話はもっぱら新型コロナの話が中心だ。みんな様々な苦労をしている。生まれて初めての事態なのだから仕方ないことだ。しこたま飲んで話して4時間。楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。

 

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 27日朝。小雨が降っているが、昨日の雨ほどではない。朝食を食べ、車で阿仁へと向かう。毎年楽しみにしている川なのだが、今日は果たして釣りができるだろうか。途中で雨が激しくなったり、日が射したりと変化の激しい天気だ。いつもの場所に車を止めて身支度をする。雨が今にも降りそうな空模様。降ってもいいように万全の準備をして入渓する。

 

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 いつもより大増水しているが、釣りにならないほどではない。仕掛けを目の前に投げるといきなり反応があってヤマメが釣れた。第一投で釣れるなんて最高の気分だ。その後上流へと遡行する。1時間ほどで五尾のヤマメを釣ったのだが、その後濁りが入ってから釣れなくなった。場所を工夫して二尾のイワナを追加したが、増水が激しくなって来た。渡渉するときに流されそうになること二回。もうこれ以上は危険と判断して脱渓した。道路に上がって見ると、いつもの場所の三百メートル下流の場所だった。すぐに車に戻って着替える。着替え終わったところに土砂降りの雨が来た。全く前が見えないような雨だ。いい時間に脱渓できた。時計を見るとちょうど12時だった。

 

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 道の駅「阿仁」で一休みする。そこのパンフレットを見て「マタギ資料館」へと向かう。マタギの湯の横にあるのだが、湯には入らず、資料館だけを見る。愛読書の「邂逅の森」のマタギに興味があり、確かめたいことがあったからだった。資料館はありきたりで、特に目新しいものはなかったが、わらだの本物が見られたのは良かった。資料館よりも休憩所にあった矢口高雄のマタギ漫画の方が良かった。時間を忘れて読みふけってしまった。

 

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 5時、クリオン帰宅。すぐに温泉に入り、部屋で休む。そこにひらり〜さんが到着。腰が痛いと言いながら温泉に向かう。加藤さんイナさんも帰宅。雨の中でもずっと釣りをしていたらしい。すごいもんだと感心する。6時から「かたくり」で夕食。布谷さんが今日もお酒時持参で来てくれた。楽しい飲み会が始まった。

 

 

 

2020年6月14日 (日)

空師をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「空師」をアップした。6月2日に急遽取材したもので、本来なら県越境は自粛しなければいけない時期だったのだが、この日しか秩父での作業がないとのことで取材したもの。取材した田村勝義さんは伐採のスペシャリストで一年先まで仕事が埋まっており、仕事場は関東一円に広がっている。秩父の本なので秩父で仕事をするときに取材したいと伝えておいたら、いきなり前日に電話がかかってきて「明日やるから・・」という急展開だった。
 

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 前日に十本ほどの杉を切り倒したという。今日は残りの七本を倒し、最後に電話線と電線近くに立っている大きな杉を空師の技で伐り倒すとのこと。電線にかからないように倒すにはそれしかないからだ。初めて空師の技を見ることができるとワクワクした。
 作業は実に順調に進んだ。田村さんと助っ人二人の阿吽の呼吸であっという間に杉が倒されて解体されて行く。まさにプロの技を見させてもらった。自分でやったら大汗をかく仕事量だが、田村さんは涼しい顔でチェーンソーを操っている。すごい体力と腕力だ。とても76歳とは思えない。

 

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 最後に残った杉の大木に田村さんが登る。十キロ以上ある空師のフル装備を身につけて。ラダーから幹に移り、垂直に登って行くその姿が枝に見え隠れする。田村さんはそれらの枝を切りながら登って行く。二本の安全帯のロープを巧みに使い分けて枝を交わす技は安定していて素晴らしい。枝を切る時に足場分を残して切り、登るのに利用する。
 つつつと登っていた田村さんの動きが止まった。見ていると二本のロープで体を安定させた。チェーンソーの音が響いたと思ったら、いきなりトップ五メートルほどが切り倒されて落ちてきた。木のてっぺんに田村さんの姿が浮かび上がる。これが空師の技だ。
 

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 その後、三メートルほど降りて、今度は幹を切り落とした。地上10メートルの高さだ。近くにある電話線や電線に絶対にかからないように配慮して落とす位置を決めている。鮮やかなものだった。
 懸垂下降で地上に降り立った田村さんは涼しい顔をしている。空師の仕事ぶりを間近で見たのは初めてだったので感動した。自分でも伐採を何年もやってきたが、これほど鮮やかな伐採と高所作業は見たことがない。冷静で的確な動作が素晴らしかった。淡々とした話ぶりも名人らしさを醸し出し、とてもいい気持ちになった取材だった。

 

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2020年4月13日 (月)

「秩父イワナを守る」をアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「秩父イワナを守る」をアップした。新型コロナによる外出自粛中のため取材に行けず、2年前から宿題になっていた絵を描いたものだ。

 荒川水系渓流保存会の会長だった須崎武男は小鹿野高校の同級生だった。2年前、65歳の若さで急逝した。急な訃報だったので葬儀には出られず、後日、同級生五人が集まって偲ぶ会を行った。
 須崎とは長い間保存会の活動を共にして来た。私は保存会の広報担当として会報の制作やステッカーやポスターのデザイン・制作などを担当していた。もちろん、飼育池での作業やイワナ調査などもやっていた。これは、会員として会長の業績を描く事であり、同級生として友人として敬意と感謝の念を込めたレクイエムを描くことだった。

 

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 私が保存会に入った時、会長は小鹿野高校同級生の久保昇だった。副会長の新井さんや関口さんが中心になってヤマメの飼育と放流をやっていた。私が森林ボランティア団体・瀬音の森を立ち上げ、安谷川の清掃イベントをやった際にヤマメの稚魚放流を手伝ってくれたのが保存会の新井副会長だった。子供達が嬉々としてヤマメの稚魚を放流している姿が目に焼きついている。
 その後、久保から会長を引き継いだ須崎が自分で工夫しながら秩父イワナの飼育を始めた。秩父イワナの飼育は本当に難しかった。その大変さは須崎がよく話してくれた。
 今回描いたのは秩父イワナの飼育に奮闘していた須崎の姿だ。10年以上前の話を紙面の都合もあって簡単に書かせてもらった。

 

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 私は東日本大震災の後、「山里の記憶」に専念するために保存会を退会した。だから須崎の最後の姿を見ていない。絵にするに当たって、会員の方々から写真を送ってもらったり、昔の広報を読み返したりした。様々な思い出がよみがえり、懐かしさに手が止まることもあった。
 山里の記憶シリーズに同級生を描くことに少し抵抗があったのだが、千島さんや吉瀬さんの「是非描いて欲しい」という声に押されて描く気持ちになった。考えてみれば自分も67歳になる訳で、少しもおかしい事ではない。

 

 須崎が世を去って、新しい保存会会長には関根さんが就任した。千島さんや吉瀬さんが脇を固め、新しい保存会の活動が始まっている。在来イワナの保護活動が中心になっているようだ。保存会の今後の発展を祈っている。

 

 

 

 

2020年4月 8日 (水)

緊急事態宣言

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 4月7日、東京都を始め7都府県に緊急事態宣言が発令された。
 期間は5月6日まで。
 
 さて、日本人として規律・自覚・忍耐が試されている訳ですが・・・
 
 やってやろうじゃないですか「外出自粛」5月6日まで。

 

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 この際だから「外出自粛」一ヶ月計画。
 
●この際だから断捨離
 家の中にある物を断捨離する。まあ4日か5日あればなんとか出来そう。雨の後の草むしりとか、家中の窓の掃除とか色々やることは多いなあ・・・

●この際だから料理三昧
 夜の料理はずっと作っているのだが、この際だから手間のかかる料理に挑戦してみようかと思う。黒豆を煮たり、羊羹を作ったりするのも楽しそうだ。太るという後遺症が心配だが・・・

●この際だから絵を描く
 取材に行けないので、宿題になっていた絵を描く。

●この際だから小説を書く
 途中まで書いていて途切れていた小説を何とか書き上げたいが、時間が足りないか?

●この際だから毛鉤を巻く
 毎朝、朝食の後30分を毛鉤巻きタイムとする。1日5個巻けば30日で150個の毛鉤が巻ける。まあ、5年分くらいは巻けそうだ。兄や加藤さんからも頼まれているので、この際に巻こう。

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●この際だから体を鍛える
 毎日、腕立て伏せ50回、腹筋100回をノルマにする。二日に一回のジョギングは黒目川6キロコース。気分転換の木刀素振り100回。NHKでやってた、くねくね体操とガニガニ体操。これきちんと続けたら結構な運動になるんじゃ・・・

●この際だから刃物研ぎ
 家じゅうにある刃物を研ぐ。雨の日にじっくりやりたい作業。包丁、ナタ、ナイフ、鉋の刃などをじっくり研ぎたい。

 

 

 

 

2020年3月27日 (金)

立ち臼作りをアップ

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 ホームページの山里の記憶コーナーに「立ち臼作り」をアップした。この取材で一番嬉しかったことは、秩父の伝説の木地師と言われている小椋弥市氏の縁に触れたことだった。「秩父の木地師たち」という本を恩師の故飯野頼治先生が出版したのが1995年の一月だった。小椋弥市氏への取材が一章に渡りまとめられていて、その中に秩父最後の木地師と書いてあった。
 

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 取材した中沢武夫さんの義父が小椋弥市氏だった。弥市氏制作の巨大な木鉢を見たときには、正直なところ手がふるえた。これだけの木鉢を作る人が秩父にいたのだと、伝説を裏付けられた気がした。恩師の仕事に触れることが出来たのも大きかった。この本は再販を予定していて、その表紙の絵を先生から依頼され、描いて渡してあったのだが、逝去されてかなわなかった。
 秩父の木地師の話は奥さんの峰子さんに聞くのが筋と考え、次回に持ち越しとした。峰子さんから父小椋弥市を始め秩父の木地師達の話を聞くのが楽しみだ。
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 立ち臼作りは武夫さんに言わせると「道楽でやってるんさぁ・・」とのことだったが、道具類を見たときに道楽でできるものではないと思った。幻の道具類がずらりと並んでいて壮観だった。特にササガンナとツボウチは自分でも使ったことがあるので興奮した。立ち臼は最後の仕上げ段階に入っていて、道具類を使う場面を見ることはできなかったが、楽しい取材だった。
 

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 山仕事をずっとやってきた武夫さん。若い時代の厳しい仕事から最近の会社でやっている仕事まで、まさに身一つで走り続けてきた人生だった。炭焼きから始まって、今では社員を何人も抱える「中沢グリーン企画」を経営している。「仕事じゃあ誰にも負けないよ」という自信がその言葉の端々にうかがえた。

 

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2020年3月15日 (日)

「ちちぶエフエム」出演終了

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 3月15日、「ちちぶエフエム」の生放送に出演して色々話して来た。放送30分前に局に到着し、打ち合わせに入る。パーソナリティーの山中さんと挨拶をして話し始めたら、なんと「私の祖父と祖母を描いてもらっているんですよ・・」と驚きの展開。聞くと「十文字小屋」の取材でお世話になった山中さんのお孫さんだった。こんな展開は予想していなかったのでびっくりだった。
 

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 新しい放送局なので内部がどんな感じなのか興味津々だった。壁一面にCDが並び、放送を聴きながら次の準備をしている。パーソナリティーが交代しながら新しい情報を届けているのが目の前で見られ、みんなで放送を作っている熱意が感じられた。
 若い人たちがこうして新しい事にチャレンジしている姿は本当に素晴らしい。影ながら応援したいと思った。「ちちぶエフエム」が長く続いて、秩父の文化として定着するように育って欲しい。
 

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 生放送は何度か経験しているので、特に緊張することもなく普通に話すことができた。山里の記憶を始めるきっかけ。山里の記憶をやっていたからこそできた東日本だ震災での「面影画」ボランティアの話。昨年見た映画「空の青さを知る人よ」で感じた山里の記憶への思いなどなど、過不足なく話すことが出来たと思う。パーソナリティーの山中さんが上手く話を引き出してくれたので、とても楽に話すことが出来た。さすがだなあと感心した。
 

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 秩父の良さを秩父の人はあまりわかっていない。むしろ、外にいる人の方が秩父の良さをわかっているのではないか・・・そんな思いを伝えたかった。
 自分が何を話したかはあまり覚えていないのでカミさんに聞くと「まあ、良かったんじゃない」という答えだったので、良かった事にする。

 

 

 

 

 

2020年3月11日 (水)

FM秩父に出演します

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 秩父で新しく開局した「ちちぶエフエム」から連絡があり、3月15日(日)午後2時からの1時間番組に生出演することが決まった。
 ちちぶエフエムの磯田さんから依頼があったもので、山里の記憶について話を聞きたいとのこと。どんな話になるかわからないが、聞ける環境にある方はぜひ周波数を合わせて聞いていただきたい。ちちぶエフエムが少しでも発展してくれれば嬉しい。
 
 ちちぶエフエムでは以前、ムクゲ公園で収録した番組に出演させてもらったことがあった。あの頃はまだ局が出来上がっておらず、ゲリラ的な放送だったように記憶している。
 こうして立派に立ち上がった新しい放送局で呼んでもらえることは素直に嬉しい。どんな話になるかわからないが素直に聞かれたことに答えたいと思う。
 
 磯田さんや出浦さんの「放送局を作るんだ!」と言う頑張りには本当に敬意を表するしかない。若いパワーが結集して新しい放送局が開局された。応援の意味も込めて協力したい。

 

 

 

立ち臼作りを取材

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 3月10日、小鹿野町両神の大塩野に立ち臼作りを取材に行った。取材したのは大塩野の中沢武夫さん(81歳)で、あいにくの雨模様だったが快く対応してもらった。
 中沢さんの義父は秩父最後の木地師と言われた小椋弥市さんで、様々な思い出の品を見せてもらった。直径90センチもある小椋弥市作の木鉢が二台も残っており、その出来栄えに感動した。材は栃木で福島県から買ってきたものだったという。なんという巨大な栃木だったかと驚かされた。多分直径二メートルはあったのではないかと思われる。
 

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 義父の話や昔話がとても貴重な話ばかりだった。山仕事で生計を立ててきた中沢さんの話は、今では考えられない厳しい仕事の連続だった。大滝の原生林伐採の仕事では白石山の山中に建てた山小屋で生活しながらの仕事だった。年に二度しか下界に下りずに仕事だけをしていたという。冬は酒が凍り、腰までの雪に悩まされながらの仕事だった。
 大滝で森林火災があり、仕事ができなくなって下山。その後は山仕事とトラック配送の仕事を掛け持ちして睡眠3時間で仕事をこなした。健康で、体力・気力が充実していたから出来た仕事だ。
 

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 今は「中沢グリーン企画」という会社を運営して、主に武蔵丘陵・森林公園の仕事をしているのだが、仕事は社員に任せて、自分は悠々自適に楽しいことをやっているのだと言う。今の時期はもっぱら狩猟に勤しんでいる。昨日も四頭の鹿を獲ったそうで、冷凍庫いっぱいの肉を見せてくれた。
 立ち臼作りは道楽で始めたのだが、北海道や新潟から注文が入るのでそろそろ本格的に作ろうかと道具類を揃えたところだと言う。製作中の立ち臼はほぼ掘り終わって、仕上げ削りと外側の鉋掛けが残っている状態だった。
 

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 道具類が素晴らしかった。木地師専門の道具が揃っていた。ツボウチは内部を削る手打ちカンナ。ヒラウチは平らな面を手打ちで削るカンナ。ササガンナは長い柄で細い歯が湾曲しているカンナ。これで内側の仕上げ削りをするカンナだ。ヨキも三種類あった。短い絵で厚い刃のヨキは浅い場所を削るもの。長い刃のヨキは深い穴を掘るもの。それぞれに用途が違う。
 材料はケヤキ。乾燥させてあるのでヒビは入らない。堅いケヤキをどうやって彫るのか聞いたら、水を張って内側を柔らかくして彫るのだと言う。なるほどなあと感心した。
 

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 お昼を過ぎた頃に奥さんが「赤飯があるから食べていきない・・」と声をかけてくれた。ひ孫のお食い初め用に作った赤飯だそうで、茶碗に山盛りでいただいた。キャラブキやわさび漬けもいただき、お腹いっぱいになってしまった。
 今回は武夫さんの話を中心にまとめるが、次回は奥さんに木地師の話や父・小椋弥市の話を聞き、木地師の話をまとめたいと思う。楽しみな取材が続く。

 

 

 

 

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