2018年2月19日 (月)

紙漉きを見学

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 2月17日、小鹿野町・倉尾の児童館で行われた「おがの紙漉き伝承倶楽部」の紙漉きを見学した。会長の山中正彦さんが伝統を途絶えさせないためにと続けている活動で、大勢の参加者でにぎわっていた。
 かぞ(こうぞ)の伐採・かしぎ(皮むき)・かぞ引きという工程を経てこの日の作業になっている。前段階も見ないでいきなり紙漉きだけを見学しても一部しかわからないのだが、毎回見学する時間もなく、申し訳ないと思いながらの見学だった。
 
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 トロロアオイの根を切る人、大鍋に湯を沸かし、灰でかぞの皮を煮る人。作業は寒い空の下で寒風に耐えながらの厳しいものだった。煮たかぞ皮を四人で叩く音がリズミカルに響く中、会長の山中さんが叩いた繊維を舟に入れ、トロロアオイの粘液を混ぜながら細かく攪拌する。よく叩いてある繊維は均等に水中に漂い和紙の元になる液体が出来上がる。液体の状態を見計らって紙漉きが始まる。
 慣れた手つきで山中さんの紙漉きが進む。慣れて熟練した動きは見ていて気持ちいい。何枚か漉いて状態が安定したところで、参加者が次々に紙漉きをする。自分の漉いた紙には名前の紙を置き、乾燥させて自分で使うようになっているようだ。
 
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 この日は途中で山が見えなくなるほどの烈しい風花が舞う寒い日だった。冷たい水に手を浸ける作業は手が真っ赤になっていたが、参加者はにぎやかに笑いながら自分の紙を漉いていた。和紙を作る伝統は「細川和紙」などで有名になったが、小鹿野では出来る人が少なくなっている。こうして若い人が感心を持ち、伝統のままに和紙作りが続くようになれば素晴らしいことだ。山中さん他関係者の努力が酬われて欲しいものだと思った。
 
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 おいしいお昼ご飯を頂き、わずかにお手伝いをさせていただいたが、とても良い勉強が出来た。途中から見学して、写真だけ撮る参加者なので邪魔にならないようにしたつもりだったが、皆さんの暖かい気配りに寒さを忘れるような時間だった。
 参加された皆さん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。
 
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2018年2月18日 (日)

えびしの取材

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 2月17日、小鹿野町藤倉に「えびし」の取材に行った。取材したのは馬上(もうえ)の酒井佐恵子さん(76歳)で、昔ながらの郷土食に自分流の工夫を加えたえびしを作っていただいた。オリンピックの男子フィギアの放送を気にしながらの取材だったが、佐恵子さんは詳しく説明しながらえびしを作り上げてくれた。
 
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 えびしは上吉田から倉尾地区で作られてきた郷土食だ。くるみやピーナツ、ゴマ、トウガラシ、ショウガ、青のりなど10種類以上の材料を小麦粉に混ぜ、お酒と醤油で練って20分間蒸かすもの。冷まして薄く切って食べる。材料や調味料に各家庭の特色と工夫があり、名人と言われる人のえびしは本当に旨い。
 たらし焼きと違って材料が高価なので販売に向くものではなく、売られている事は少ない。昔は結婚式の膳部を飾る一品だった。家でご祝儀を挙げていた時の名残の料理だ。元々は兵糧として作られていたようで、戦国時代から作られていたという説もある。
 
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 なぜ、この地区だけで作られてきた郷土食なのかを考える。この馬上(もうえ)地区はその昔、日尾城(ひおじょう)の館群があった場所だ。合角(かっかく)ダムのある場所は、日尾城の馬場や根古屋があった場所であり、佐恵子さんの家がある場所は耕地名を殿谷戸(とのがいと)と言い、佐恵子さんの家は殿様が住んでいた家だという。
 日尾城の侍たちが住んでいた場所とえびしの作られている場所が重なるのは偶然だろうか。兵糧として作られていたえびしが一般の家庭に伝播していったのではないか。高価な材料を使う祝いの膳にその名残が残ったのではないだろうか。そんな事を考えながら佐恵子さんの先祖の話を聞いていた。
 
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 昼前に蒸し上がったえびしが冷めるのを待って薄く切る。ほの温かいえびしを口に運び頬張ると、甘さがくる。歯触りはもっちりとやわらかい。噛むと大きなクルミやピーナツが良い噛みごたえを感じさせる。ほんのりピリ辛が残るのはトウガラシゴマの味だろうか。複雑な味がひとつにまとまり、立派なお茶請け、酒の肴が出来上がった。
 郷土食として有名だが作る人は少なくなっている。今はごちそうがちまたにあふれているので、この郷土のごちそうも影が薄い。昔の食料事情を考えると、とてつもないごちそうなのだが、それが伝わらないのがもどかしい。
 
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2018年2月10日 (土)

絵を届ける

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 2月9日、秩父に絵を届けに行った。絵を届けたのは「くだげえ」の酒井泰男さんと、「尾ノ内氷柱」の北孝行さんだった。
 まず倉尾の馬上(もうえ)耕地に向かう。山の北側はまだ雪で真っ白、道路も日蔭は凍っているので慎重に走る。泰男さんの家に伺って絵を渡し、日の当たるテラスでお茶をいただきながらいろいろな話をした。お茶を出してくれた奥さんが小鹿野高校の同級生とわかり、大いに話が盛り上がった。思いがけずに懐かしい話が出来た。長くやっているとこんな事もある。
 
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 隣の酒井隆夫さんの家にファイルを届けに行く。奥さんがおられて家に呼ばれお茶を頂く。話は「えびし」の取材交渉。奥さんは「えびし」作りで有名な人だった。8年前に小学校で「えびし」作りの実技指導をした時の話など写真を見ながら話が弾み、17日の土曜日にえびしの取材が出来る事になった。こうして秩父に行く機会に取材が決まるのはうれしい。
 
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 昼過ぎに河原沢に向かう。尾ノ内氷柱は平日にも関わらず大勢の観光客が来ていた。北さんは忙しそうだったが、絵を渡すととても喜んでくれた。北さんからつみっこ(すいとん)とたらし焼きをいただき、暖かいストーブの横で昼食にする。観光客と笑いながらいろいろな話をしている北さん。相変わらず気さくな会話が楽しい。
 氷柱を見ると、大雪の影響で真っ白になっていた。前回は雪が降っておらず、見事に青い氷の壁だったのだが、雪が覆ってしまうとせっかくの青い氷が隠れてしまい迫力がない。もったいないことだが、雪が溶けないので仕方ない。
 
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 上長瀞の「自然の博物館」に学芸員の井上さんを訪ねる。1月14日で終わった秩父鉱山展に貸し出していた絵と写真パネルを引き取る為だった。荷物を運び終わってお茶をいただきながらいろいろな話をした。鉱山展のその後の話、大きな反響があったとのこと、ありがたいことだ。この写真パネルは5月20日から秩父の矢尾百貨店で原画展と同時開催の写真展で展示される。まだまだ役目は終わっていない。
 
 
 
 

2018年2月 8日 (木)

写真展を見る

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 2月7日、東京ミッドタウンの富士フイルムフォトサロンで開催されているNHK学園生涯学習写真展を見てきた。この写真展は毎年友人の櫻井さんが出品していて、近年は入賞が続いたいた。今回は入選になってしまったが「使う人の事を考えて」というタイトルの作品が展示されていた。私が取材した「竹皮ぞうり」を編む女性の姿が写された作品だった。秩父の原風景ともいえる姿が活写されて心温まる作品だった。
 
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 入賞作品はそれぞれ力作揃いで、目を楽しませてくれた。秩父の風景やお祭りの写真も多く、意外な場所で秩父を感じる写真展だった。会場には「写真を撮ってSNSなどで拡散して下さい」という表示が各所にあり、時代を感じさせてくれた。見に来ている人はご高齢の方が多く、どれだけSNSに拡散できるか疑問を感じる部分もあったが主催者の思いは伝わった。
 露骨にインスタ映えを狙ったと思われる写真も多く、少しずつ時代の鑑賞眼が変わってきている事を思わせた。
 
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 作者は生涯学習という事だから年輩の方が多いと思うのだが、若い人のインスタと共同開催をしたらどんな対比が見られるのかと夢想してみた。写真の世界もスマホに取って代わられる時代になってきているのだから、そんな柔軟性も必要になるのかもしれない。いずれにしてもスマホの小さな画面で見るよりも、大きな作品で見る方が写真はいい。作者の思いもストレートに伝わってくる。こうして足を運んで見る事の楽しさを実感した。
 
 この写真展で毎回思うのは、素晴らしい写真が多いのに、タイトルがあまりに普通なこと。このネーミングセンスが「惜しいなあ」と思う。思うに、写真を撮る時間ほどタイトルを考えていないのではないかと思うくらい残念なタイトルが多く脱力する事も多い。写真の撮り方と同じくらい言葉の選び方も重要なんだという事も学習のひとこまになって欲しい。
 
 
 

2018年2月 6日 (火)

尾ノ内氷柱をアップ

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 ホームページの山里記憶コーナーに「尾ノ内氷柱」をアップした。この場所は以前にも取材したことがあった。三年前の九月に「おもてなし」として「河原沢よってがせー委員会」の活動を取材したものだった。その時に感じた事は、地域活性化のために必要な事は地域の人がみんなで盛り上がる活動にするという事だった。一年間のよってがっせー運動が、冬の氷柱の集客に集約される。尾ノ内氷柱の実行委員会会長である北孝行さん(74歳)が言う「もっとも大事な事はリピーターを作ること」という言葉に集約されている。
 
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 多くの人が訪れる尾ノ内氷柱だが、リピーターも多い。安い料金と美味しい食べ物、笑顔と楽しい会話の接待。みな、よってがっせー委員会の活動で培われたものだ。一朝一夕に出来るものではない。氷柱そのものを作ることも大変だが、全員がおもてなしの精神を行動に表現できることも大変なことだと思う。
 自分達で地元に大きな観光地を作る。最初は小さな活動だったが、評判は評判を呼び、大きな観光地へと育った。みんなでやった事であり、やれば出来るんだという自信も大きい。
 
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 行政によって作られたものではなく、地元の青年達が始めた活動だったというのも新鮮で楽しい。地球温暖化と言われているが、昨今の厳しい寒さが更に氷の成長を促し、立派な氷の世界を作り出している。テレビで何度も出て来るのでさぞ忙しい事だろうが、嬉しい忙しさなのだと思う。寒ければ寒いほど注目される観光地だから、当分注目されることだろう。
 一月末からは毎週土曜日にライトアップも始まった。寒い日に思い切り寒いところで幻想的な風景を楽しむというのも一興かもしれない。
 
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 尾ノ内氷柱で楽しみたいのは景色だけではない。サービスの甘酒。売店で売っている温かい料理。窓口に置いてある無料の自家製料理の数々。地元のお土産。薪ストーブにあたりながら交わす楽しい会話。全部楽しめれば、印象に残る観光地になるはずだ。そして、それは地元の人々が最も望んでいる観光客であるともいえる。
 
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2018年1月29日 (月)

くだげえをアップ

Kudagee
 
 ホームページの山里の記憶コーナーに「くだげえ」をアップした。この行事は毎年NHKのニュースで流れるのでよく知っていた。前の長老守屋勝平さんの時に取材に行く予定が流れてそのままになってしまった経由があった。
 二日にわたる取材という事もあり、全部を伝えられるかどうか心配だった。一昨年取材した「お天気占い」の時に感じた事だが、山間地の季節行事は高齢化により、どんどん縮小を余儀なくされている。開催されているうちに描き残したいと思うきっかけになった。
 二日かけてずっと一緒に参加して初めてわかる事ばかりだった。良い勉強になった。
 
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 この取材を通して感じた事は、山間地の季節行事を残すことの難しさだった。高齢化が進み、参加者の年齢は毎年上がってゆく。今回参加した行事のあきちゃんと呼ばれている宮前明良(あきよし)さん(五十七歳)が最年少だとのこと。「毎年一番下だぃね」と笑っていた。行事長の泰男さんから聞いたが、夜の部は毎年8時からだったのだが、今年から7時にした。「みんな歳をとって遅くなるのは勘弁してくれっていうからねぇ…」というのが理由だった。おかげで夜の部の取材に間に合わなかった人も多く、苦情も出たがまあ仕方ないことだ。
 
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 くだげえは篠竹の筒をお粥と一緒に炊きあげ、竹を割ってその湿り気で一年の天気・作柄・大世を占うという神事だ。諏訪神社の筒粥神事でくだがゆとも言う。前任の長老、守屋勝平さんが「くだげえ」という名称に決めて小鹿野町の登録無形文化財とした。
 文中にも書いたが、篠竹を編む縄は昔コウゾの皮を細く裂いてなった細いヒモで編んだのだが、最近は市販の麻ひもを使っている。これも簡素化の流れだ。詳細を知っていた長老が一人去り、一人去りして簡素化が進んだという。マイナーチェンジが繰り返され、今の形になっている。神事を残すために仕方のないことだ。
 
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 本来なら神事に使う管筒作りなどは公開されるものではないのだろうが、ここでは氏子が全部やるので公開されている。「こんな所は他にないだろうね」という氏子の言葉にうなずかされた。民間伝承の民俗行事としていつまでも残ってほしいものだが、問題は多い。まだ形が完全なうちに描き残す事が出来て良かった。
 
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2018年1月26日 (金)

勤続45周年

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表彰状         UCHIDA製図用机 様
 
 あなたは昭和47年2月より現在に至る45年間、私の画業を支えてくれました。その栄誉を讃え、ここに表彰状を贈らせていただきます。
 
 デザイナーを志した19の春にあなたは私のアパートにやって来ました。指扇の二階建てアパートの6畳間に来たあなたは、慣れない畳の上でとまどっているようでした。同居していた姉からは「こんなデカイものを運び込んで…」と白い目で見られていました。
 デザインの勉強や作品の製作を続けた3年後、上福岡のアパートに転居しました。6畳一間の部屋であなたの大きさを持て余したものでした。またその当時、東武ストアの販売促進部に勤務していたこともあり、勉強の本を置く場所や持ち帰り残業の仕事でしか使われていませんでした。あなたにとって不遇の時代であったかもしれません。
 
 昭和55年の8月、中板橋に創業した小さなデザイン会社の一角にあなたが入りました。やっとあなたの本領を発揮する場所に来た日でした。それ以来30年、デザイン会社の片隅で本来の使われ方をしたのですが、時代の変化は早く、T定規などの製図道具を使った作業からパソコンの時代になってしまいました。あなたの製図板の上にパソコンのモニターとキーボードが並ぶようになりました。製図板昇降機能は使われなくなり、サイドテーブルは取り外されました。あなたの周囲は環境も人も道具もめまぐるしく変わり、デザイン会社の変化の速さを実感した日々でもありました。そんな中でもあなたは周囲の最新式の机達と一線を画し、堂々とした居住まいを見せておりました。
 
 会社は中板橋から恵比寿に移り、ピークを迎えました。その後時代の変化による業績の悪化により恵比寿から大塚に移転し、私は退任しました。同時にあなたも大塚から東久留米の自宅に移動し、狭い居間の窓ぎわに置かれました。あなたの上には水彩画の道具が並び、絵を描く日々を受け止めるようになりました。
 山里の記憶の水彩画193作品をあなたの上で描きました。プライベートな作品を合わせると300点以上の水彩画を描いていると思います。製図板には絵の具の汚れやカッターナイフの傷跡が増えました。
 
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 思えば私の前にはいつもあなたがいました。19の春にあなたに出会い、私の未来は決まったのかもしれません。自然に体になじむ安息の場所を提供してもらい、自分の進むべき道を誤ることなく歩いて来られたように思います。何一つ機能的に欠けることなく錆びもなく45年間助けてもらいました。本当に素晴らしい机です。
 今後も50年、60年とあなたと過ごすことになるでしょう。終わりの時も共にあらんことを念じ、今までのあなたの存在に感謝を込めて、これを感謝状といたします。
                  平成30年1月吉日    黒沢和義  印
 
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2018年1月22日 (月)

モア閉店

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 1月20日、三時間のテニスを終え、疲れた体を引きずって池袋に行った。向かう先はモアという歌謡スナック。10年間多くの人に愛されてきたこの店が閉店する日だった。ここに書くのは多分初めてだと思うが、じつは私、カラオケ大好き人間。この店に通うようになったのは3年前からで、知り合いに連れて行かれ、ドキドキしながらドアを入った記憶が懐かしい。
 
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 二時間3000円で歌い放題、飲み放題というシステムで、音響が素晴らしいスナックだった。客筋がとても良くて、年に何回か歌の会という催しも開催されていた。ここに通うようになって歌が上手くなった気がする。客は歌の上手い人が多かった。知らない歌を聴くことも多く、すごく勉強になった。月に二回だから常連という程ではなかったのだが、気の良い人達に迎えられ、常連の隅に坐らせて貰っていた。
 
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 昨年の8月に閉店の話を聞いてからあっという間の半年だった。こういう形で店が閉店するのは見た事も聞いた事も無かったので、最後は一部始終を見届けようと、開店の6時から店に入った。常連の客が次々に入って来てママと最後の挨拶を交わして、歌い、去って行く。愛されて惜しまれて店を閉店できるのはじつにありがたい事だとサバサバした顔でママが言う。カミさんも一緒に来ていた店だったので「最後まで見届けて…」と言われていた。
 
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 終電が終わってもまだ満席。歌は延々と歌い継がれている。みんな知っている顔ばかりだ。そこから一人減り一人減りして最後は4人残った。「みんなで5時まで歌いましょう」と歌い継ぐ。何を話すという事もなく歌が会話のように流れている。店で歌うことのなかったママも加わって歌の輪がつながっていく。何だか不思議な時間が流れていた。
 
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 5時、最後を私の「ありがとうの歌」で締めくくって店の営業が終わった。「じゃあ、また」というママの声に「じゃあ、また」と言って店を出た。まだ暗い池袋の町に出て、「じゃあ、また」と駅前で別れた。
 6時から朝5時まで11時間歌い続けたことになる。みんなに愛されて幕を引くという最高の終わり方を見せてもらった。
 
 
 
 

2018年1月17日 (水)

尾ノ内氷柱の取材

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 1月15日、秩父の冬を飾る観光地、尾ノ内氷柱を取材した。取材したのは尾ノ内氷柱実行委員会の会長である北孝行さん(74歳)だった。土日は観光客の対応が忙しいので、平日の午前中ならということでこの日の取材が実現した。北さんは9年前に商工会青年部の相馬さん他5・6名で始めた冬の観光地作りをバックアップすることで大きく育ててきた。
 
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 商工会青年部が始めた行動は集落を団結させ、自分達の力だけで大きな観光地に育て上げた。5年前からは大きな集客力を見過ごせなくなった町の観光課もバックアップを始めた。地元の人間による地域振興の好例として多くの自治体が視察に来るようになった。
 また、北さんは「芦ヶ久保氷柱」の開発も協力して、氷作りを指導している。同地域の久月(ひさつき)にも氷柱が作られることになったのも、尾ノ内氷柱の成功を見たからだった。
 
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 尾ノ内氷柱のすばらしいところは、冬の氷柱だけで終わらないところだ。4月から10月迄「よってがっせー委員会」の活動が毎週末に開催されており、氷柱以外のリピーターも多い。地域のみんながなんらかの活動を分担している訳で、地域全体が盛り上げていることがすばらしい。野菜作りや施設の工事、修繕などなどもみんなでやっている。地域興しは地域の人々が元気になるのが一番だと思うが、ここではそれが普通に行われている。
 
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 地元の女性達が作る料理も様々に種類を変えて提供されている。この日も女衆が作った料理が窓口に並んでいた。無料サービスの甘酒を飲みながら少しずつつまんで食べる。窓口を通して笑顔とおしゃべりが交流する。温かいもてなしを見ていると、リピーターが多くなるのもよくわかる。
 
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 北さんはそんな活動を会長として引っ張って来た。強力な仲間も多い。この日は高橋美正さんと柴崎照夫さんが話に加わってくれ、いろいろな話を聞くことができた。多くの人と会話して、笑顔で帰ってもらうこと。そしてその人達とまた別の日に笑顔で会えることが醍醐味だと話してくれた。地域活性化の手本のような人達だった。
 
 
 
 

2018年1月15日 (月)

くだげえの取材

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 1月14日と15日の二日間、秩父に行った。小鹿野町藤倉地区、馬上(もうえ)集落の「くだげえ神事」を取材をするためだった。正式には諏訪神社の筒粥神事という。45本の篠を編み、筒状にしたものを大鍋でお粥と炊きあげ、翌朝の朝日とともに篠を割って、一年の天気・作柄・大世を占う神事だ。
 
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 14日の午後1時に神事に使う篠(矢竹)を切り出す事から取材が始まった。様々な決まりがあり、その決まりに則って作業が進んで行く。行事長の酒井康男さん(68歳)に話を聞きながら取材を進める。行事6名、小回り4名の10名が手分けして篠を切り、削り、筒に編む。出来上がった篠筒を神前に奉納して午後の部は終了する。
 
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 夜の部は午後7時から始まった。行事・氏子全員の柏手と朱盃での献杯から神事が始まった。大鍋に神聖な水とおさご(お米)を入れ、鍋の中央に篠筒を置く。慎重に囲炉裏に運び、一気にお粥を炊きあげる。狭い堂内に煙が充満し、目を開けていられない。囲炉裏の炎が1メートルも立ち上がり堂内が熱い。あっという間に鍋が沸騰する。すぐに鍋を移動し、冷ます。醒めたら元に戻し、また沸騰させる。三度沸騰したところで鍋を外し、杓子を使って行事長が篠筒を鍋から出し、三宝に入れ、神前に奉納する。夜の神事はここで終了し、そのまま歓談する。多くの話を聞くことが出来た。終わったのは夜8時半。三々五々帰宅する。私は実家である兄の家に向かう。
 
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 翌朝は6時起き。7時までに神社に行かなければならない。車のフロントガラスが真っ白になっていて、霜落としに時間がかかった。車の温度計はマイナス8度になっていた。何とか7時前に神社到着。行事がすでに来ていて大きな焚き火が迎えてくれた。皆さんといろいろな話に花が咲く時間だった。神事は8時から始まった。行事・氏子全員の柏手と朱盃での献杯から神事となり、奉納した篠筒が出される。行事長と長老が篠筒を分解し、三本ずつ割って中身の確認をする。行事全員が意見を述べながら今年一年の様々な占いが行われた。
 
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 毎年NHkのニュースで流れる「くだげえ神事」だが、自分で取材してみて初めて知る事が多かった。少子高齢化の波に流され、氏子が年々高齢化している。いつまでこの神事が続けられるかわからないという言葉もあった。難しい事かも知れないが、素朴な民間信仰を伝える貴重な神事をいつまでも続けて欲しいものだと思った。
 
 
 
 

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