2019年12月11日 (水)

半跏思惟像

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 奈良二日目。今日は斑鳩の里に車で向かった。目的地は法隆寺。宿から一時間弱で到着した。朝が早かったので人影もまばらな境内をゆっくりと散策した。
 法隆寺は鎮魂の寺とも言われている。1400年続く木造建築の寺院は世界最古だ。南大門から入り、土塀を鑑賞しながら中門に向かう。土塀の続く景色が素晴らしい。
 西院伽藍に入り、五重塔と金堂を見ていたら係の人が話しかけて来た。ガイドではなく警備の人だったが、金堂の成り立ちや素材の説明をしてくれた。金堂の扉がヒノキ一枚板でできていて、縦格子窓が一枚板のくり抜きだと教えてもらう。なんと巨大なヒノキが材料であることか。中門のエンタシス柱は巨大なヒノキの縦四分の1で一本の柱になっているとのこと。知らなかった。飛鳥時代に道具もないのに、どうやってこの巨大なヒノキを加工したのだろうか? どうやってこの巨大な建物を組み上げたのだろうか? 係りの人と三人で「不思議だねえ・・」と首をかしげた。
 

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 国宝の建物、国宝の仏像、国宝の仏具、おびただしい宝物の数々が法隆寺にある。大宝蔵院にはそれらがずらりと並んでいる。最初に並んでいる観音像6体に目を奪われた。その表情のにこやかなこと肢体のしなやかなこと。有名な夢違観音像よりも素晴らしかった。
 百済観音を参拝中に女子高校生の一団に飲み込まれた。クラスごとに案内人が付いていて説明するのだが、案内人の説明がそれぞれ違うのにびっくりした。ほとんどの子がそのまま通り過ぎるのだが、何人かの子が像に手を合わせていた。なんだか少し救われた気がした。
 大宝蔵院の最後に百万塔が展示されていた。恵美押勝の乱の犠牲者を弔うために造られたもので轆轤で相輪まで精巧に造られたもの。木地師の祖先たちの技の素晴らしさを目に焼き付けた。
 

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 夢殿を参拝し、本日の目的地中宮寺に向かう。ここにあるのが表題の半跏思惟像。大きな鉄筋コンクリート造りの建物に安置されている中宮寺の御本尊だ。正式には如意輪観世音菩薩という。半跏思惟というのは片膝を組み、考える像という意味。微笑みの美しさは東洋のモナリザにも例えられている。人間の救いをいかにせんと思惟されている清純な気品をたたえている。素晴らしい仏像だ。
 最前列に座り両手を合わせてじっと像を見つめる。幸せな時間が過ぎていく。漆黒の像の美しさは何に例えれば良いかわからない。ただただ像を見つめていた。
 

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 二時近くなって遅い昼食。法隆寺参道にある平相で柿の葉すしランチを食べる。寒い日だったので煮麺が美味しかった。
 昼食後は近くの藤ノ木古墳に向かった。ところが見ようと思った斑鳩文化財センターが休館日でがっかり。藤ノ木古墳は駐車場がないので離れた広場に車を止めて見にゆく。巨大な円墳は年に一度だけ内部の公開日があるそうだが、当然ながらこの日は扉に鍵がかかっていて中には入れなかった。

 

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 時間が余ったので葛城山に向かう。役行者が生まれて育ったと言われている山を見に行った。ロープウェイに乗って山頂に行っても市内はガスで見えないとわかったので乗らなかった。
 
 寒かった法隆寺でどうやら風邪をひいてしまったようで、くしゃみと鼻水が止まらない。途中のドラッグストアで風邪薬を買って宿に帰って来た。さてさて、明日はどうなることやら。

 

 

 

2019年12月10日 (火)

西の京

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 奈良に来ている。橿原神宮駅前のホテルから西の京まで電車で移動し、秋篠寺→西大寺→唐招提寺→薬師寺と回った。一日歩いて、寺を巡り、仏像を観て手を合わせた。一番会いたかったのは秋篠寺の技芸天だった。絵を描く事も芸の一つと考えれば、技芸天に手を合わせるのも真剣になる。柔らかな姿と優しい顔を見ているだけで時間を忘れた。また、秋篠寺の苔の庭園が素晴らしかった。万両の赤い実が緑の苔に映える。クチナシのオレンジ色の実が青空に映える。素晴らしい庭園だった。
 

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 西大寺では伽藍の大きさと仏像の取り合わせが様々で面白かった。中でも目を引いたのは愛染堂の
愛染明王坐像だった。小さいが精巧な木像で、その素晴らしさに目を奪われてしまった。四隅を護る
四天王像も素晴らしかった。仏像の素晴らしさは大きさではないことを実感した。
 大和西大寺駅の駅中ショップが素晴らしかった。活気にあふれ、飲食店も充実していて展望デッキもある造り。駅の中でありながら楽しく時間を過ごせる工夫が至る所で作られていた。こういう駅が東京にも欲しいと思った。
 

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 唐招提寺で一番見たかった場所は「戒壇」だった。鑑真和上の坐像は非公開なので見られず、和上が作ったこの戒壇こそが唐招提寺の象徴だと思ったからだ。初めてみた戒壇はジャワ島のボロブドゥール遺跡の基壇に似ていた。ここで聖武天皇が授戒を受けたのだと思うと身が引き締まる思いがした。多くの観光客は金堂と講堂に集中していて、戒壇を見る人は少ない。もったいないことだ。
 

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 薬師寺に入って、食堂(しきどう)で修学旅行の生徒相手に話す僧侶の講話が面白かった。下手な落語家よりも話が面白く生徒たちの爆笑を誘っていた。
 1300年前に造られたとは思えない仏像と建物に驚き時空を超えた奈良の力に気付かされた。金堂も講堂も真新しく、古さは微塵も感じさせないのだが、この寺域は天武天皇の時代からこの場所で人々の安寧を祈って来た。すごい場所であり、すごい寺であり、すごい仏像群なのだ。持統天皇がこの場所を歩いていたのだなどと思いたかったのだが、工事の作業音や修学旅行生徒たちの喧騒で想像の翼は羽ばたいてくれない。少し残念なことだが、人けのない早朝にでもくれば別の空気を味わえるのかもしれない。
 

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 奈良の1日目。終いの紅葉が見られ、素晴らしい仏像を味わうことができた1日だった。奈良は期待を裏切らない素晴らしい場所だ。明日は斑鳩の里に走る予定。

 

 

 

 

2019年12月 6日 (金)

奥宮祭りをアップ

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 12月6日、ホームページの山里の記憶コーナーに「奥宮祭り」をアップした。6月にオオカミのお姿を刷る猪狩神社の取材をしてから楽しみにしていた取材だった。奥宮での神事の最後に全員で鬨の声を上げるという奇習を楽しみにしていた。鬨の声はオオカミの遠吠えとも言われており、それを自分の目で見るというのも楽しみだった。
 猪狩山への登山は思った以上に厳しいもので、日頃の不摂生を痛感させられた。氏子の皆さんの足取りが確かな事は、この登山を毎年続けているからなのだと思う。陽造さんの孫で8歳の愛子ちゃんは3回目の登拝だというのにも驚かされた。
 

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 山頂の社(やしろ)は二つあった。氏子と参拝者が持参したお供えですぐに社前がいっぱいになった。その中に秋刀魚の開きがあった。例年だと山頂でサンマを焼いてみんなで分けて食べるのだが、今年は強風で中止になったのが残念だった。なぜ山頂の神饌に秋刀魚なのか、聞いても誰もわからない。昔からそうしているからとのことだったが、思い出したのは飯田の八幡様の神饌の事だった。飯田の八幡様の例大祭(鉄砲祭り)直会でも必ず秋刀魚の開きを食べていた。どう繋がるかわからないが、山の神様は秋刀魚が好きなようだ。
 

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 氏子が各家から持参した赤飯がずらりとヒノキ葉の上に並ぶ。神事が終わると食べて良い。お供えも好きな人が持ち帰っていい。参拝者だけに特別のお守りが配られたり、氏子と参拝者が密接につながっていることがわかった。
 小さい耕地の小さい神社。しかし、その歴史は古く、連綿と受けつがれてきたお祭りがあった。オオカミ信仰の研究者くらいしか目を向けなかったお祭りにこれだけ多くの人が集まって盛り上げる。  
 氏子も特別なお守りを作ったり、御朱印を発行したりと参拝者との関係を大切に育てている。その真摯な姿は信仰によるものでもあり、神社活性化の工夫や手段でもある。
 

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 自宅に戻った陽造さんに話を聞いた。93歳のご母堂がこんにゃく玉を整理していた。普段はデイサービスに通うのだが忙しい時は畑仕事を手伝うという。お土産にいただいたこんにゃくは、このこんにゃく玉を加工した自家製だった。味が浸みてとても美味しい煮物になった。
 狩猟もやる陽造さん。大きな鹿の角を見せてくれた。今年一番の大物だったという。山の生活には全てがある。陽造さんは神社保存会の会長や農協の理事、蕎麦生産組合の副会長、こんにゃく生産組合の副会長などをやっている。実に忙しい山の生活だ。今回は神社の取材だけだったが、聞きたい事はたくさんあった。しかし残念ながら、その時間がなかった。

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2019年11月25日 (月)

アルヒラルは強かった

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 11月24日、埼玉スタジアムにてACL決勝戦が行われ、参戦した。相手はサウジアラビアのアルヒラル。2回アジアチャンピオンになっている強豪だ。すでに第一レグ・1対0で負けているレッズは2点取らなければ優勝はない。優勝は多分難しいだろうな・・という思いもありながら、手にしたチケットを生かすべくカミさんと出かけた。
 

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 埼スタは満員。五万八千人を超えるサポーターで真っ赤に染まっている。試合開始までの応援がすごかった。今のレッズで戦えるものはサポーターの応援くらいなものだから全員が必死に声を出す。しかし、応援が力を持つのはチームの力が僅差の場合だけだ。アルヒラルと今のレッズは差がありすぎた。試合が始まると出るのはため息ばかり。全てに置いて負けている。これで勝とうというのは虫が良すぎる。悲しいことだけど、力の差は歴然としていた。
 

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 前半は0・0で耐えたが、後半に見事なカウンターで失点。こうなるとレッズは3点取らなければならない。しかし、その手段がない。スタジアムは徐々に声が小さくなる。交代で入るのが柏木と杉本なのだからため息もでる。案の定、後半ロスタイムにとどめの2点目。相手を褒めるしかない。このチームで決勝まで来られたことが奇跡に近いのだから、優勝なんて望んではいけなかった。アルヒラルのようなチームにならなければいけないのだという事が確認できた試合だった。
 

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 最後の表彰式まで見た。アルヒラルに拍手をして優勝を祝った。本当に優勝にふさわしいチームだった。いいサッカーを見せてもらった。レッズもああならなくてはいけない。
 混雑した電車を乗り継いで家に帰ったのが11時。いやはや疲れた。
 
 朝から小菅の山小屋の解体をして家に帰り、風呂に入って、着替えて、埼スタで決勝に参戦。長い長い1日が終わった。全身疲労と虚脱感で妙に頭が冴えている。何もかもが「終わったなぁ・・」という虚脱感。精神的にきついけど、少し休んでまたがんばろう。

 

 

 

 

2019年11月24日 (日)

解体作業・終わったぁ〜・・

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 11月23日と24日、予定していた小菅の山小屋解体作業が終わった。
 参加してくれた皆さんお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
 解体作業に参加してくれたのは、JICKYさん、斎藤さん、ミクさん、NAKANOさん、加藤さん、イナさん、長南さん、kurooの8名。
 

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 前日の朝からJICKYさんと山小屋に入る。予報は一日雨予報。デッキにブルーシートを張って、水を確保したところで雨になり、山小屋の中での作業になった。
 内部のものを全てデッキに出して整理する。二階の窓を外してまとめて梱包する。ガラスがあるので重い。工具箱や食器箱などを整理してまとめる。荷運び用の背負子を二台作る。ここで暗くなり、デッキの上に耐火煉瓦を並べてブルーシートの下で焚き火モードになる。そのまま夕飯を食べて焼酎のお湯わりを飲んで色々話す。9時頃には寝てしまった。
 

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 23日、朝は雨が降っていなかった。良かったと思ったのだが、作業しているうちに小雨が降り出し、一日止まなかった。最初に登って来たのはNAKANOさん。瀬音の森の黄色いヘルメットをかぶって登って来た。懐かしい色だ。次に登って来たのが斎藤さんとミクさん。久しぶりに会うミクさんがすっかり大人になっていたのにびっくり。
 作業は屋根の解体から始まった。スレートをバールで剥がすのだが、しっかり貼ってあるので大変な作業になった。途中でイナさん、加藤さんも登って来て、全員で屋根と格闘する。スレートの下に貼ってある防水シートがまた難敵で、屋根のコンパネを剥がすのに全員で大汗をかいた。
 

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 山側の屋根板を外し、谷川の屋根をどうするか相談する。結果、垂木を残して支柱を切り離し、最後に垂木を切れば屋根が水平に倒れるだろうということになった。チェーンソーで支柱を切り離す。垂木を左右から切り落とし最後にセンターを切ると「ズシン!」と地響きがして二階の床に谷側の屋根が落ちた。ここで再度相談。屋根が重いので二階に乗せたままでは危険と判断。本体をデッキ側に倒して作業しようということになった。
 山側の壁ログをチェーンソーで切って一段ずつ外す。谷側も同じように壁ログを外す。全部なくなったところで全員でデッキ側に本体を押して倒す。ところがかすがいが効いていてなかなか倒れない。チェーンソーでかすがいを切り離し、残っていた壁ログも切り落とし、再度全員で押す。
 あおりをつけて何度も息を合わせて押しているうちにベキベキ!という音を立てて柱が倒れ、ズッシーン!と地響きをあげて本体が屋根を乗せたままデッキの上に倒れた。予想通りの展開に思わず歓声と拍手が起こった。これで安全に屋根の解体作業ができる。
 

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 ここで昼になり昼食。雨の中で盛り上がらないが思い思いの昼食を食べる。私は食欲が全くなく、用意した昼食を食べることができなかった。
  昼食後苦労して屋根板を外し、その後の解体を進めるメンバーと、運び下ろしのメンバーに分かれた。運び下ろし隊はJICKYさん、斎藤さん、ミクさん、イナさん、加藤さん。解体組は長南さん、NAKANOさん、kurooの三人。解体はチェーンソーを使ってログや柱や垂木を切り離し、それを整理する。体力勝負の作業なので肩で息をするような状態で作業が続く。途中でチェーンソーの刃がかすがいに当たり、全く切れなくなるアクシデント発生。こんな時のために替え刃を用意してあったので取り替えて作業をする。取り替えに手間取って作業が少し遅れた。
 

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 夕方、解体作業は終わってログと角材とベニヤ板に分けて積み上げられている。全員が揃ったところで本日最後の運び下ろし。手分けして大物を担ぎ下ろす。
 舩木さんから指定された場所に荷物を運び、本日の作業終了。宿の廣瀬屋さんに向かう。廣瀬屋さんは小菅の老舗旅館。地元の素材を使った夕飯、特に手打ちの蕎麦が有名な宿だ。
 4時から大きな湯に浸かり、すっかり体を温めて部屋でビールを飲む。夕飯の6時まで部屋で色々話す。相変わらず釣りの話が多い。
 6時から夕飯。地ビールで乾杯し、甲斐サーモンの刺身やヤマメの塩焼きに舌鼓をうち、澤乃井の一升瓶をミクさんのお酌でグイグイと飲む。みんな笑顔で会話が弾む。ありがたいことだ。
 

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 朝、外は小雨。天気予報はこれから晴れると言っている。朝食を食べゆっくりと宿を出る。今日の作業は空荷で登って残った不燃物の担ぎ降ろしだけ。空荷で登るのは初めてだったがJICKYさん、長南さんについてゆくだけで息が上がってしまった。休まずに登り切ったが大汗をかいた。
 様々なものをまとめて分担を決める。最後に全員で記念写真を撮る。多分、これが小菅の山小屋での最後の集合写真になるだろう。
 一列になって荷物を運び降ろし、指定の場所に置いてブルーシートをかける。電話で舩木さんに解体終了の挨拶してお礼を言い、最後の小菅での作業が終わった。参加してくれた皆さんに感謝。瀬音の森、最後のイベントとなった解体作業。無事に終わって、これで本当に「終わったぁ〜・・」という気持ちになった。

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2019年11月18日 (月)

猪狩神社・奥宮祭りを取材

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 11月17日、秩父荒川・贄川にある猪狩(いかり)神社の秋例大祭・奥宮祭りを取材に行った。取材したのは加茂下(かもした)陽造さん(69歳)で、朝8時から行われる清掃から猪狩山登山・頂上での神事を取材した。
 猪狩神社の奥宮は猪狩山の山頂にあり、年に一度11月の第3日曜日に秋祭りで神事が行われる。氏子11軒で維持されている猪狩神社は大神信仰でも有名で、最近は多くの参加者が同行するお祭りになって来た。この日も30人を超える参加者が険しい登山をして神事に参加した。
 

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 朝8時から氏子が集合して神社周辺の清掃を行う。今年は台風19号の大水で神社横の水路に土砂が溢れ、その修復も行われた。11軒の氏子が集まり様々な打ち合わせや確認事項が伝えられる。本当によくまとまっている耕地の姿に驚かされた。
 土砂防止の石垣が、見ている前で組み上がる様は感動的ですらあった。連携作業も完璧で、普段から交流があるからこそ息のあった作業になっている。清掃終了後解散して10時に再度集合する。
 

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 10時半、一般参加者も集まり、磯田さんの挨拶と注意事項の連絡があった。いよいよ一列になって猪狩山への登山が始まった。時間にして1時間くらいとのこと。急斜面の山登りだ。
 九十九折の登山道が上へ上へと伸びる。すぐに息が荒くなり、額から汗が流れる。思った以上に傾斜がきつい。おまけに枯葉と乾いた土で足が滑る。一歩一歩慎重に歩くが先頭が早いので自分のペースが掴めない。大汗をかいたところでやっと1回目の休憩。ほとんどの人が腰を下ろして休む。
 

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 杉林の急登から岩山登りへとさらに傾斜がきつくなる。ロープが張ってある場所が増え、足場がさらに悪くなる。見下ろす角度は40度位か、一歩足を滑らせたら大変なことになりそうだ。
 額から汗が流れ落ち、息も苦しくなって来た時にやっと山頂に到着。思った以上に厳しい登山だった。頂上には石の祠が2つ建っており、平らな広場は30人も人が集まったらいっぱいになりそうな狭さだった。日当たりは良いが風が強く吹き抜けて寒い山頂だった。
 

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 一緒に登って来た神官3人が神官装束に着替え、神事が始まる。3人奏、祝詞、神官玉串奉天、氏子玉串奉天、参列者玉串奉天、宮司挨拶、全員の乾杯、集合写真撮影と神事が終わって昼食になった。氏子や参列者が赤飯を持参して神前に供える。柿・蕪・ほうれん草・サンマの開きなども供えられる。本来なら秋刀魚を山頂で焼いて食べるのだが、今日は風が強いので中止になった。
 参列者も思い思いの昼食を食べる。昼食を食べ終わって最後の神事が始まる。全員で集落の方向に向かって両手をあげ3回鬨の声を上げるというもの。長老の加茂下陽造さんが音頭を取って全員が「うお〜・うお〜・うお〜」と3回叫んだ。この神事の由来などは誰もわからないが、この神社ならではの奇習だ。これを叫ぶために参加している人も多い。
 

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 慎重に下山して膝が笑うのを我慢して無事に神社に戻る。加茂下陽造さんの家にお邪魔してさらに色々な話を聞く。3時から公民館で直会が始まるということで3時に取材は終了した。
 一日山に浸って体は疲れたが心は満たされた取材だった。

 

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2019年11月11日 (月)

山口一家と小菅の山小屋

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 11月9日・10日と小菅の山小屋に行った。山小屋建築に尽力してくれた山口さんが、奥さん、息子二人・孫一人を連れて遊びに来てくれた。久しぶりに賑やかな山小屋泊まりだった。
 朝7時に家を出て山小屋に到着したのは10時。山小屋の床下にあった角材を使って背負子を作り始めた。背負子は、昔使っていたのを思い出しながら持参した麻縄を使って作る。解体した時に出る不燃物を運び下ろすためのもの。
 角材で木枠を作り、背中に当たる部分に麻縄を丁寧に巻いてクッションにする。肩紐は麻縄4本にタオルを細切りしたものを編み込んで丈夫さと柔らかさを作った。なかなかの出来上がりに満足して二台目の制作にかかる。二台目は床下にあった虎ロープを使って作った。
 

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 午後2時、山口さん一家到着。久しぶりの登山に大汗をかいたようだ。和己君は2年前に来たことがあった。慎二君は18年前の建築当時に来て手伝ったことがあった。奥さんは初めての山小屋で「こんなところに・・・」と驚いていた。4歳の孫、真澄(まなと)君は元気に走り回っている。
 和己君は39歳に、慎二君は30歳になったと聞いて、18年という時の長さを二人の成長で実感した。焚き火を囲んでよもやま話に花が咲く。ビールを飲んでタバコを吸う二人を見ながら、自分も歳を感じるはずだなあと実感。山口さんと笑い合う。
 

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 午後4時に山から下りてきた登山客が声をかけて近寄って来た。誰かと思ったらJICKYさん。びっくりして聞くと大菩薩方面から紅葉を楽しんで来たとのこと。すぐに奥さんも下りて来てみんなに挨拶する。このまま小菅の湯まで下ってバスで帰るとのこと。「寝袋持ってれば泊まっても良かったんだけど・・」と言いながら少し休んで下って行った。
 4時を過ぎると暗くなり、焚き火の時間。日本酒を飲みながら次々出てくるつまみを食べる。真澄君が焚き火の周りで遊ぶのをハラハラしながら見ていた。キャンプ慣れしている山口一家だから食事作りや寝床の準備もスムーズだ。焚き火の周りでは昔話に花が咲いていた。あまり寒くなく、焚き火にあたっていると暑いくらいだった。この焚き火場がなくなると思うと少し寂しい。
 気がつくと10時になっていてみんなで山小屋に入る。私は慎二君と二階に寝た。
 

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 朝7時に起床、快晴。すでに山口さんが焚き火を熾していた。挨拶をして焚き火の薪を拾いに行く。焚き火をしていたらコーヒーを入れてもらった。朝のコーヒーがなんと旨いこと。

 

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 朝食は昨夜の芋煮鍋にうどんを入れてカレーうどんを作ってもらった。これまた旨いうどんで、3杯もお代わりしてしまった。美味しい料理を食べて焚き火でまったりするのは山小屋ならではの朝だった。しばらく焚き火の周りで時間を過ごした。
 後片付けをして10時の小菅の湯開店の時間に合わせて山口さん一家は山を下って行った。もう一台背負子を作ろうと思って材料を出したら、山主の舩木さんから電話が入り、山を下りて来てくれとこと。すぐに片付けて山を降りる。どうやら車を停めていた場所でキャンプ用品の撮影があるとのことで、車を移動して欲しいということだった。山を下りると撮影隊が待っていた。舩木さんに挨拶して、不燃物置き場を確認し、早々に退去した。
 

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 時間が余ったので紅葉を楽しもうと丹波山村の「のめこい湯」に行く。ぬるめの湯にゆっくり入って体の疲れを取った。今年の紅葉は随分遅れている。この時期でまだ始まったばかりのような感じだ。紅葉しないまま枯れている木も多いので色が悪い。なんだか季節が変になっている。

 

 

 

 

2019年11月 4日 (月)

小菅の山小屋

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 11月3日・4日と小菅の山小屋に行ってきた。今月の23日に解体する予定だが、その前に焚き火を楽しむためだった。朝9時半、小菅に到着し、すぐに登山開始。体重が3キロ軽くなったので登山は楽だった。休憩なしで20分の急登、さほど汗をかかずに山小屋に到着した。
 

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 到着後にすぐ水の確保。先ごろの大雨で水場の流れは豊富だった。すぐにポリタンク二個が満タンになった。次は山小屋の掃除。荷物を出して掃き掃除して、雑巾で拭き掃除。一階と二階を拭き掃除して、銀マットの拭き掃除。これも数が多いので大変だった。午前中いっぱいかかった掃除でクタクタになった。

 

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 午後は薪集め。杉の枯れ枝を拾い集めて燃やしやすい長さに切る。薪小屋の薪は長い間放置しているので湿ってカビが生えている。これは燃えにくいので枯れ枝を集めて薪にする。
 午後3時、加藤さん到着。すでに焚き火モードに入っているのでビールで乾杯。4時には暗くなり、やることは焚き火だけ。加藤さんとあれこれ話しながら焚き火を楽しむ。この焚き火が出来なくなるのはやはり寂しいものがある。
 

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 レトルトのビーフシチューを食べ、ウイスキーの水割りを飲み、さほど寒くない夜を過ごす。11月でこれほど暖かいのは初めてかもしれない。何年も11月3日に泊まったが、寒くて寝られない事も多かった。今回は持参した上着を着る事もないくらい暖かかった。
 山小屋の電気もまだしっかり点く。18年変わらない太陽光発電の光だ。これも壊してしまうのが少し残念でもある。
 

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 晴れた朝。焚き火をしながら朝プシュ。小菅の山小屋での定番だ。ガスコンロでお湯を沸かし、インスタントラーメンを食べる。山で食べるインスタントラーメンはじつに旨い。
 朝9時半、焚き火が一段落したところで後片付けをして下山し、小菅の湯に入る。いい山小屋の夜だった。
 

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 来週9日は山小屋作りに尽力してくれた山口さん一家が山小屋に来てくれる。最後の宴会になりそうで楽しみだ。山口さんがいなかったらこの山小屋は出来ていない。18年前の山小屋作りを語り合いながら山小屋の最後を楽しみたい。

 

 

 

 

 

2019年10月29日 (火)

11月1日夜9時半・テレビ埼玉放送

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先日来取材を受けていたテレビ埼玉の放送が決まりました。

 

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 11月1日(金)夜9時半「ニュース930」の中の特集で放送されます。
 内容は面影画展の案内と山里の記憶の活動について。
 具体的にはどうなるかわかりません。

 

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 なお、当日に大きな事故や事件があると放送されない可能性があります。

 

 

 

 

2019年10月25日 (金)

空の青さを知る人よ

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 10月24日、池袋の映画館に映画を見に行った。見た映画は「空の青さを知る人よ」というアニメ映画だった。秩父を舞台にしたアニメ映画三部作の三作目の作品だ。秩父が舞台ということもあり、話の種になるかと思い何となく見に行った。若い人向けの映画だし、とりあえず見ておこうという軽い気持ちで足を運んだ。
 ところがこの映画、66歳のジジイの胸に強烈に突き刺さった。一体突き刺さったものが何だったのかと一晩考えた。映画の紹介になるのかもしれないが、とにかく考えさせられた。考えた結果以下のように考えがまとまった。長文です。
 
 映画はあかねとあおい二人の姉妹が暮らす秩父市が舞台。知っている場所が映画に次々登場し、秩父観光案内ビデオのような感じで始まった。高校を出てミュージシャンを目指し東京へ出る少年と見送る姉のあかね。ネタバレにならないようストーリーはその辺で終わらすがこの映画で何が突き刺さったのかを考える。
 キーワードはことわざ。「井の中の蛙大海を知らず・・されど空の青さを知る」という言葉。これが映画のタイトルにもなっている。空の青さを知る人という言葉が刺さったのだ。高校まで秩父で過ごし、まさに「井の中の蛙大海を知らず」になるのが嫌で東京に飛び出した。蛙(かわず)はまるで自分の事だった。
 
 自分にとって東京に出るということは当たり前の決断だった。しかし多くの友人たちは秩父にとどまった。東京で一心不乱に働き、それなりの仕事や地位も得て、家を建てることも出来た。成功したはずなのに、何か物足りない。そんな気持ちが後押ししたのか13年前から秩父に通って「山里の記憶」という絵を描くライフワークを続けている。自分なりに、消えゆくものを残すとか子供時代の懐かしい味や技を求めてと理由づけているが、本当にそうなのかは疑問が残る。何か違う根本的なものが自分の気持ちの奥にあるような気がしていた。
 
 東京に家を建て、終の住処を築いたはずだった。しかし、そこは山が見えない都会のただ中だ。まるで大海に漂う笹舟のような気すらする。周囲とのコミュニケーションはなく、水に漂う根無し草のようでもある。
 若い時は周りを気にすることのない都会が良かった。誰にも干渉されずに自由に生きてきた。その結果手に入れた自分だけの世界だったはずだった。大海に飛び出して成長した人間になったはずだった。東京に出て約50年、それなりに頑張った。しかし何か物足りない。
 秩父に通い、多くの人を取材して多くのことを勉強した。皆秩父で生まれ、秩父で生きてきた人たちだ。まさに「空の青さを知る人」たちだった。
 
 母親は秩父から一度も出たことがなかった。温泉にでもと旅行に誘っても頑として秩父から出なかった。テレビの旅行番組が好きで「外のことはテレビを見ればわかるから・・」と笑っていた。秩父から出ることを母親は「外に出る」と言っていた。実家を継いだ兄は一度浦和に出て秩父に戻った。高校時代の友人はずっと小鹿野で割烹料理店をやっている。
 何かを守るために秩父にいる人がいる。子供を守るため、親を守るため、実家のお墓を守るため、年に一度のお祭りを守るため、先祖伝来の田畑や山を守るため、など様々だ。その全てが「空の青さを知る人」たちなのだ。大きな根っこを持っている。
 
 高校を卒業したばかりの自分にもし今会えたら何を言ってやれるだろうか。お前が考えているほど秩父は狭くないよ。お前が考えているほど東京はいいところではないよ。眩しく見える場所には、眩しければ眩しいほど暗い影の部分があるんだよ。煩わしい人間関係は時間が経てば快適な関係になるんだよ。お金よりも大切なものがあるんだよ。・・そんな事くらいは言える気がする。
 若かったから「井の中の蛙大海を知らず」という強迫観念しかなかった。「空の青さを知る」ことの意味がわからなかった。この映画が胸に刺さったのは若かった自分への郷愁だったかもしれない。
 
 空の青さを知ることと井戸から出て大海を知ることのどちらが優先されるかはその人による。自分の人生は自分で選んだ人生だ。人それぞれ様々な人生を生きている。
 ともすれば大海を知ることを優先して、井戸の中にいることを遅れていると見ることもあるだろう。しかしそれは違うとこの映画は言っている。故郷を出た人間は誰でも故郷に帰りたいという願望がある。しかし帰れない人間が大多数だ。口にはしないが故郷は遠くにありて思うものと諦めている。郷愁という琴線に響く言葉がそれを表す。

 

 郷愁というものが何かと言えば、それは故郷に帰ることが出来ない人の諦めの感傷だ。帰りたくても帰る場所がない。そんな状況が、そんな思いが郷愁という言葉を紡ぐ。
 大海を知るために外に飛び出した人間が、井戸の中で空の青さを知る人間を思う。いや、思うのではなく憧れる。日本中の田舎から都会に出た人に突き刺さる映画だと思う。自分の原点は何だっかのかと問われる映画だ。久しぶりに、いや、初めて心に突き刺さる映画だった。

  

 

 

 

 

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